木山捷平(笠岡市) 生きる喜び描いた詩人作家
きやま・しょうへい 1904―68年。小田郡新山村山口(現笠岡市山口)生まれ。旧制矢掛中から姫路師範学校に進み、兵庫県で小学校教諭を務めるが、25年に文学を志して上京。「詩人僧」と呼ばれた赤松月船(井原市出身)に師事した。詩作のかたわら、33年に太宰治らと同人誌「海豹」を創刊。創作の中心を小説へと移していった。44年に農地開発公社の嘱託社員として満州に渡り、敗戦後の1年にわたる難民生活の果てに命からがら帰国。この体験を題材にした短編「耳学問」(56年)で直木賞候補。長編「大陸の細道」(62年)で芸術選奨文部大臣賞を受賞した。戦前にも、短編集「抑制の日」(39年)と「河骨」(41年)が芥川賞候補になった。
|
〈私は牡丹(ぼたん)の花よりもねぶかの花が好きだ〉―。ねぶかとは長ネギのこと。どこかいがぐり頭を思わせる素朴な花をこよなく愛したのは、笠岡市出身の詩人・小説家木山捷平だった。
彼の生家にほど近い畑で、身を寄せ合うように咲くねぶかの花を見つけた。山間をわたる涼風に吹かれ、ひょこひょこと揺れる姿はユーモラスで、思わず笑いがこみ上げてきた。
戦前、戦後の激動の時代の中で、世間の虚飾や権威を嫌悪し、社会の片隅で暮らす人々の生きる喜びを飄々(ひょうひょう)とした筆致で描き続けた捷平。彼もまた、この畑で淡い緑の花に目を細めたのかもしれない。
息づく故郷への愛 市井に人の真実求める
終戦から間もない昭和20年代の前半。近所の「捷さん」が家にやって来るようになった。年のころは40代半ば。着流しに黒いコート姿、分厚い眼鏡とハンチング帽。父と縁側で酒を飲み、碁を打ってはまたふらりと帰っていく。井伏鱒二や太宰治らと親交を持つ文人と聞かされて驚いたことを覚えている。
詩人松田研之さん(77)=笠岡市山口=が父の古い友人だった「捷さん」―木山捷平に出会ったのは、まだ10代の時だった。捷平は1946年に満州(現中国東北部)での苦難に満ちた難民生活を経て帰郷。疲弊した心身を癒やしていた。
「普通のおじさんでしたよ。すごく無口だったけど、優しい目をしていた」。当時から詩の世界に関心を持っていた松田さんは、文学仲間と2人で捷平を訪ねたことがある。
村の地主だった木山家は、厚い築地塀と白壁の母屋の堂々とした構え。縁側に通された松田さんがおずおずと詩を教えてほしいと頼むと「詩のことはよく分からん」。後は何も答えず、ただスイカを食べさせてくれた。
素っ気ない応対だったが「冷たくあしらわれた、という印象は不思議となかった」と松田さん。その後、会うことはなかったが、没後、出版された日記に自分の名を見つけた。50年8月7日。〈夜、松田研、中島義弘の青年来訪〉
視点の低さ
緩やかに連なった山と谷間の田畑の緑が、梅雨の合間の青空に映える。笠岡市中心部から北へ約10キロ。捷平が生まれた小田郡新山村(現笠岡市新山地区)は、彼自身が〈幼い自分、私たちの村は中国第一の桃の村と称された〉と語るように、温暖な気候に恵まれた農村だった。山の斜面を埋めんばかりだった桃畑は大部分が失われて久しいが、のどかな田園風景に当時をしのぶことができる。
鑑賞用の「牡丹(ぼたん)の花」の華やかさより、大地に根差して命をつなぐ「ねぶかの花」の素朴さを愛した捷平。元倉敷市立短大教授の定金恒次さん(79)=岡山県里庄町里見=は、市井に生きる庶民の姿に生きる真実を求めた木山文学の「視点の低さ」には「少年時代に共に暮らした郷土の人々への深い愛着がある」と指摘する。
「おやじがよく言っていました。『おれの故郷は、おれの文学の故郷でもある』と」。捷平の長男萬里さん(73)=東京都練馬区=が懐かしむのは、自らの原点として終生故郷を愛した父の思い。それは第1詩集「野」の跋(ばつ)文からも強く伝わってくる。
〈村のおばさんやおじさんは、実にすぐれた諧謔(かいぎゃく)家である。その諧謔の反対の側にあるたまらない寂寥(せきりょう)! 否、その諧謔の中にかくされている小さくて大きい真実!〉
自慢の捷さん
「郷土が誇る作家であると同時に、私たちにとっては今も昔も『木山の捷さん』なんです」。新山地区の住民有志でつくる「にいやま『文化をたのしみ育てる会』」会長の高木浩朗さん(82)=笠岡市山口=が笑った。
99年に発足した同会の活動は捷平の顕彰が中心。高木さんらは、古城山公園(同市笠岡)に立つ詩碑の清掃や研究者を招いた講演会、中学時代の同人誌復刻と、多彩な取り組みを行っている。
笠岡市も、2004年の生誕100年に向けた顕彰事業として1996年、文学作品対象の「木山捷平文学賞」を設立。佐伯一麦、松浦寿輝ら優れた作家を表彰してきた。
賞自体は“百寿”を迎えてその役割を終える予定だったが、05年に全国公募の短編小説を主体にした「文学選奨」に再編して存続。「地元住民や文学ファンらの強い要望が決め手だった」と同市教委生涯学習課の前田知之統括。
高木さんが今、捷平の作品に感じるのは「富や権力への幻想を取り払った、人間そのものへの深い愛」という。「とかく『生きにくさ』や『心の喪失』が取りざたされる現代にこそ、読まれるべき文学だと思うんです」






