トップ>>先人の風景 サイトマップ >お問い合わせ
先人の風景

浮田幸吉(岡山、玉野市) 空を飛んだ表具師

This text is replaced by the Flash movie.


幸吉が飛んだ京橋。現在の橋は大正時代に建設されたもので、古い絵図によると幸吉の時代は半円形の太鼓橋だったとみられる
幸吉が飛んだ京橋。現在の橋は大正時代に建設されたもので、古い絵図によると幸吉の時代は半円形の太鼓橋だったとみられる


 うきた・こうきち 1757―1847年。玉野市史などによると、八浜の旅宿桜屋の当主浮田瀬兵衛の3男1女の次男として生まれた。岡山を所払いとなった後、駿府では金子屋(後に備前屋)の屋号で商売に精を出したほか、入れ歯・時計修理職人としても活躍した。岡山城下で表具師となった弟の弥作は、津山藩士小島天楽(1787―1830年)が岡山居住時代に記した随筆集「寓(ぐう)居雑記」に登場。弥作の話として、幸吉の飛行の様子を伝えている。また戦前には小学校の国語の教科書でも、空を飛んだ表具師・幸吉の話が紹介されている。

 時は江戸。商業が活発化する一方、賄賂(わいろ)も横行したという田沼意次時代(1767―86年)。自由な時代の風に触発されたのか、岡山城下で1人の若者が途方もない夢に情熱を傾けていた。

 「鳥のように、空を飛んでみたい」

 若者の名は浮田幸吉。ライト兄弟よりも100年以上も早く、世界で初めて空を飛んだとして、“鳥人幸吉”と呼ばれている。

 現在の玉野市八浜地区に生まれた幸吉は、岡山城下で表具師となり、その技術を生かして、紙と竹で人工の翼を製作。体に結び付け、旭川に架かる京橋(岡山市北区京橋町など)から、ふわりと宙に舞った。


 上昇気流を全身で受けているのだろう。翼をいっぱいに広げ、トビが気持ちよさそうに青空を舞っている。浮田幸吉の故郷、玉野市八浜町八浜の両児(ふたご)山(52メートル)。少年時代の幸吉もここに登り、トビのように飛ぶ自分の姿を思い描いたのだろうか。

 幸吉は旅宿・桜屋の次男として生まれた。当時の八浜は、児島湾の豊かな水産物が集まり、由加山参りの客でにぎわう児島半島北岸最大の港町。今も、なまこ壁の土蔵や格子窓の町家が残り、往時の繁栄をうかがわせる。

 桜屋にも各地の商人や参拝客が宿泊し、幸吉少年にいろんな話を聞かせただろう。「港町だった八浜には進取の気性がある。そうした風土に幸吉も触発されたのでしょう」と八浜町並み保存推進委員長の神原章次さん(62)。空へのあこがれは、古里ではぐくまれた可能性が高いという。

■ハトを研究

 幼くして父を亡くし、7歳で地元の傘屋に奉公に出た幸吉。14歳で岡山城下の上之町(現岡山市北区表町)の紙屋に移った。持ち前の器用さを発揮し、表具師としてメキメキと頭角を現した。

 その一方で、空を飛びたい―との思いは、どんどん強まっていく。仕事の合間に、近くの蓮昌寺(同区田町)に足を運び境内のハトを観察し、夜は翼の製作に没頭したという。

 そして1785年夏。28歳の幸吉はついに夢を実行する。幸吉の飛行は大きな噂(うわさ)になったらしく、備後・神辺の漢詩人、菅茶山(1748―1827年)は随筆「筆のすさび」で「ハトの重さや翼を計り、自分の体重と比べて翼を作った。胸の前で操りながら、はばたいて飛行した」と伝え聞いた話を紹介している。

 飛行場所は、京橋東詰めから南に向かって―と伝わるが、定かではない。飛んだ距離も不明で、「河原に落ちた」と記す文献もある。河原にいた夕涼みの人々は、妖怪と勘違いして番所に駆け込んだ。幸吉は捕らえられ、城下を騒がせた罪で所払いの罰を受ける。

 一連の騒動を聞いた鴨方藩の儒学者、西山拙斎(1735―98年)は「人にして羽虫たるを願う、妄愚(もうぐ)甚だしきかな」と酷評している。

■現代人を魅了

 偉人というより、奇人と評されてもおかしくない幸吉。しかし近年、幸吉を題材にした小説やラジオドラマ、講談が相次いで出版、制作されるなど、なぜか現代人を魅了する。

 「わしゃなあ、日本一の朝焼けの富士を、空の上から見たかったんじゃあ。京橋から飛んだんも、お城や御後園(ごこうえん)(後楽園)を上から見たかっただけじゃっち」

 幸吉を題材にしたオペラ「風の嬉(き)遊曲」。台本を執筆した劇作家山田美那子さん(72)=津山市林田=は、劇の中で幸吉の思いをそう代弁する。

 オペラの候補として幸吉を調べ、「病的に好きになってしまった」と山田さん。「人に理解されなくても、破天荒な夢を貫いていく姿。なんて粋なんだろう、と。閉そく感が漂う現代人に光を与えてくれる気がする」。3年近く取材を重ね書き上げたオペラは、2006年に岡山市内で公演。好評を博した。今秋の国民文化祭では、第2回の公演を行う予定だ。

 幸吉の故郷、八浜地区では、住民たちが約20年前に「桜屋幸吉保存会」を結成。毎秋に「鳥人幸吉まちづくりフェスティバル」を開き、幸吉の歌を作るなど顕彰活動を続けている。「人類の夢を、世界で初めて実現した幸吉のチャレンジ精神。地域で受け継いでいきたい」と藤原清会長。

 所払いとなった幸吉はその後、駿河(静岡県)に居を移したが、60歳を超えても飛行に挑み続けたという。彼は飛ぶことに何を求めたのだろうか―。「大空へのあこがれに、理由なんかないよ」。ゆったりと舞うトビが、そう答えたような気がした。




(2010年2月15日掲載)

トップへ戻る>>
 過去記事
福田英子(岡山市) 女性解放運動の先駆者(4/18)
江川三郎八(真庭、岡山市) 国重文残した建築家(3/21)
林芙美子(尾道市) 放浪の作家(2/21)
仁木永祐(津山市) “美作の板垣”と呼ばれた民権家(1/24)
良寛(倉敷市) 清貧の禅僧(12/20)
吉田研一(岡山市) 文化育てた詩人社長(11/22)
空海(善通寺市) 「平安のスーパーマン」(9/20)
難波仁斎(岡山市) 戦後岡山漆芸の祖(7/19)
木山捷平(笠岡市) 生きる喜び描いた詩人作家(6/21)
11代万代常閑(岡山県和気町) 富山売薬の祖(5/17)
矢野恒太(岡山市) 生命保険事業の先覚者(4/19)
清水宗治(総社、岡山市) 義を貫いた地域の誇り(3/15)
浮田幸吉(岡山、玉野市) 空を飛んだ表具師(2/15)
正宗白鳥(備前市) 自然主義文学の大家(1/18)
坂田一男(倉敷市) 抽象画の先駆け(12/21)
森近運平(井原市) 悲劇の社会主義者(11/16)
池田綱政(岡山市) 岡山藩主 (10/19)
人見絹枝(岡山市) 女子スポーツの開拓者 (8/18)
箕作阮甫(津山市) 万能の洋学者 (7/20)
正阿弥勝義(津山市、岡山市) 天才金工家 (6/16)
記事一覧>>

[ 戻る ]
 [ 山陽新聞社ホームページへ ]

掲載の記事・写真及び、図版の無断転記を禁じます。すべての著作権は山陽新聞社、共同通信社、寄稿者に帰属します。
Copyright © 1996-2012 The Sanyo Shimbun. All Rights Reserved.