森近運平(井原市) 悲劇の社会主義者
もりちか・うんぺい 1880―1911年(戸籍上は81年生まれ)。後月郡高屋村(現在の井原市高屋町)の自作地主の長男として生まれる。青年岡山県農学校(高松農業高の前身)を首席で卒業。農商務省農事試験場など経て1902年、岡山県庁入り。農政を担当し営農改善や産業組合普及などに努めるうち、平民社の社会主義運動に接近。岡山県初の社会主義研究組織「岡山いろは倶楽部」を設立。日露戦争開戦の04年、反戦演説などが問題になり免官。05年に「大阪平民社」創設、06年の日本社会党結成では中心的役割を果たし、社会主義の啓もうや実践活動に努めた。09年に帰郷し農業に従事中の10年、大逆事件に連座した。
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明治天皇の暗殺を企てたとして社会主義者、無政府主義者らが弾圧された大逆事件(1910年)から、来年で100年になる。非公開の裁判で12人が絞首刑にされた。
刑場の露と消えた1人が森近運平。谷川沿いに田園が続く井原市西部の山里の農家に生まれた。日清、日露戦争の影響で困窮する農民の救済を志し、それを原点に、社会主義草創期を代表する先進的な業績を残した。だが、その足跡は30年で消された命とともに、「国賊」のらく印に長く封じられてきた。
戦後、明治国家のねつ造という事件の構図が明らかになり、故郷には刑死50年後に建立された墓や顕彰碑が立つ。再来年は100年忌。地域では、道半ばの名誉回復に向けた顕彰の機運が高まっている。
大逆事件連座、無実の刑死 弱者救済志し改革志す
田の収穫が終わり、晩秋の風情が漂う森近運平の故郷を訪ねた。生家跡や墓所に立つと、無実の罪で処刑された運平と、「国賊」の縁者として苦しんだ人らの無念さや怒り、悲哀が、季節の寂寥(せきりょう)感とともに伝わってきた。
「父上は 怒り玉ひぬ 我は泣きぬ さめて恋しき 故郷の夢」
生家跡の顕彰碑に刻まれた歌だ。運平が獄中で本の裏に爪(つめ)で書き残した。父母や妻子の待つ故郷へ帰る日を夢見たが、生きては戻れず、遺族は墓に葬ることも禁じられた。近くの墓所に墓を建立できたのは半世紀後の1961年。事件の真相解明と名誉回復に向けた、遺族による再審請求に合わせて実現した。
その墓には左右後ろの3面に碑銘がびっしり。生い立ち、刑死、建立の経緯まで細かく刻まれている。「名誉回復を念じた思いが込められているよう」。森近運平を語る会の広畑耕滋事務局長(74)=井原市野上町=と、事務局を自宅に置く久保冨美子さん(69)=同市木之子町=が声をそろえる。
わずか30年の人生だが、その足跡は鮮烈だ。墓碑銘に刻まれただけでも、岡山県庁時代の「産業組合手引」著述、反戦運動、「岡山いろは倶楽部」設立。さらに大阪平民社での「大阪平民新聞」発刊、明治最高の体系的社会主義書とされる「社会主義綱要」著述…大変な活躍ぶりである。
碑銘にはないが、片山潜や堺利彦らと国内初の合法社会主義政党「日本社会党」を結成、その際には幹事役も務めた。「反戦平和、格差是正、女性解放…。今に通じる人道的な社会主義の理想を掲げ、時代を先取る思想や活動を展開。長く生きれば農業振興や社会活動などで貢献し教科書に載るような偉人になったはず」。同語る会代表の坂本忠次・岡山大名誉教授(76)=笠岡市茂平=が話す。
例えば、運平が育成に励んだ産業組合は今の農協につながる。疲弊する小作農救済のために描いた構想は戦後、農地解放の形で実った。運平研究の先駆者、吉岡金市・元金沢経済大学長(故人)=井原市出身=は、その早すぎた思想と短すぎる人生を惜しみ、著した伝記の副題に、「大逆事件の最もいたましい犠牲者…」と記した。
大逆事件が起きたのは日韓併合と同じ1910年。それに向かう時期、日清、日露戦争を経て大陸進出を図る政府は、思想弾圧を強める。運平は事件前年の09年には生活も活動も困窮し、社会主義活動の盟友・幸徳秋水と決別し帰郷した。決別の背景には、過激化する思想、さらに男女問題に関する倫理観への失望があった。
故郷では農学校で培った専門知識を生かし、最先端の温室栽培に挑戦。農業や農村の改善運動に励んでいた。そんな中、事件は起きた。思想や言論の弾圧のため当局は全国の社会主義者、無政府主義者を徹底的に調べ上げる。運平の場合は、端緒となった天皇暗殺未遂事件で逮捕された宮下太吉や、決別前に秋水らと交わした話の内容が無理矢理、事件に関連付けられたのだ。
運平の潔白は、再審請求の際の研究により、捜査や裁判の不当性とともに明らかにされた。だが請求は高裁が65年に棄却、最高裁も特別抗告を67年に退けた。事件から50年がの歳月で証人や証拠がほぼ消えていたのが響いた。そもそも今日でも請求自体、「法の安定性」の思想などから極めて難しいのだが、司法が下したその判断は名誉回復を遅らせた。
地元でも顕彰活動も下火になった。だが、運平を敬愛する有志らが地道に継続。昨年、井原市教委が発刊した人物伝「郷土が生んだ偉人たち」には運平が登場した。
「額に汗し働く人や弱者の側に立ち、差別や搾取のない社会に変えようと全力で生きた。高潔な正義漢だった」。井原市に生まれ、運平研究に励む森山誠一・金沢星稜大名誉教授(66)=笠岡市小平井=も尽力を誓う。
同市内で森近姓を持つただ1軒の親族、丘也さん(56)=高屋=は同語る会主催の運平の墓前祭に今年初めて出席した。「親族は何かと居づらく、次々に井原を出ていったと聞く」と明かし、「復権を願う人が多くいることが分かり、うれしかった。今後も出席し、誇るべき親族の復権に努めたい」と話した。






