人見絹枝(岡山市) 女子スポーツの開拓者
ひとみ・きぬえ 1907~31年。岡山県御津郡福浜村(現・岡山市南区福成)出身。岡山高等女学校では軟式テニスの選手だった。偶然出場した陸上大会の走り幅跳びでいきなり日本記録を樹立。二階堂体操塾(現・日本女子体育大)をへて、大阪で新聞記者をしながら競技し、100メートル、走り幅跳びなど9種目で、未公認含め計14回世界記録を更新した。1928年のアムステルダム五輪では800メートルで2位。日本女性初の五輪メダリストとなった。3度の欧州遠征に加え、後輩の指導、全国各地での講演など多忙を極め、24歳の若さで肺炎で亡くなった。
|
「女が脚を出して走るなんてはしたない」。彼女が生きた大正から昭和初期はそんな時代。女性は良妻賢母が理想とされ、スポーツをすることには批判的な声が大半だった。
1928年のアムステルダム五輪。陸上女子800メートルで日本女性初の銀メダルを獲得した人見絹枝は、時に冷たい視線をはねのけ、ひたすら走り跳び、女子スポーツの道を切り開いていった。
母校・福浜小(岡山市南区福富東)の中庭には、軽やかに走る絹枝の銅像が立つ。男女入り交じって駆け回る今の子どもたちを、どんな思いで見ているだろうか。
未経験の800メートルで銀メダル 執筆や指導 普及にも尽力
「位置について。よーい…」。口をぎゅっと結んだ子どもたちがスタートラインにつく。パーン! ピストルの音が響き、一斉に駆け出した。
岡山市南区福富東の福浜小学校。7月、きつい日差しが残る夕方の校庭で、人見絹枝の小さな後輩たちが短距離走やリレーの練習に励んでいた。
同校では、陸上競技の大会がめじろ押しの夏から秋にかけて、始業前や放課後に児童が練習を重ねる。毎年2月には「人見絹枝杯」と名付けた校内の800メートル走大会も開く。
「子どもたちには何事もあきらめない人見選手の粘りや強い心を受け継いでほしい」と岡本利明校長。授業や全校の集まりなどで、折りに触れて同校出身の絹枝の活躍を話すのだという。
■
絹枝は1907年、今の同市南区福成の農家に生まれた。少女時代からスポーツ万能で知られ、岡山高等女学校(現・操山高)在学中に岡山県の陸上大会走り幅跳びで4メートル67の日本記録(非公認)で優勝。陸上の世界に第一歩を踏み出した。
「炎のスプリンター」と称される絹枝の不屈の精神力が発揮されたのが、28年のアムステルダム五輪。優勝候補の100メートルで準決勝敗退したものの、「これでは日本に帰れない」と、未経験の800メートルを走り、銀メダルに輝いた。
「100メートルの選手が800メートルに出場するなんて、今では考えられない。100メートルで敗れた悔しさがよほど大きかったのだろう」と天満屋陸上部の武冨豊監督(55)は舌を巻く。
「初めて走って当時の世界記録を破るタイム。80年経た今も五輪のトラック個人競技で日本人メダリストが出ていないことを考えると、まさに不世出のアスリートといっていいでしょうね」
■
鈍く輝くメダルや優勝カップ、ユニフォーム…。天満屋の選手も練習する桃太郎スタジアム(同市北区いずみ町)内にある遺跡&スポーツミュージアムには、アムステルダム五輪の銀メダルの複製をはじめ、絹枝ゆかりの品々を展示。あらためて偉業に驚かされる。
「陸上競技者としては誰もが認めるところ。だが、人見にはさらに偉大な功績がある」。長年、絹枝の研究を続ける三澤光男日本女子体育大名誉教授(78)=東京都=は力を込める。
女性の運動ははしたないとする風潮が根強かった当時。絹枝の活躍にも心ない言葉が浴びせられていた。
国際大会で欧州を転戦した絹枝は、男女問わず、人々が余暇にスポーツを楽しむ姿に衝撃を受けたとされる。自らの競技の傍らで陸上の技術指導書や自叙伝を執筆し、全国を回って女学生を教え体験を語り、女子スポーツの普及と後輩の育成に尽くした。
「社会に与えた影響は計り知れない。人見は自身の記録向上のみならず、スポーツ振興という広い視野を持っていた」と三澤教授。マラソンや柔道、レスリングなど近年活躍が目覚ましい女子選手。「これらの原点に人見の存在があるのは間違いない」と評価する。
特に岡山県は、バルセロナ五輪女子マラソン銀メダリストの有森裕子さんら世界的な選手を次々に輩出。天満屋所属の中村友梨香選手は昨年の北京五輪に続き、開催中の世界陸上選手権にも出場を果たしている。
人見が切り開いた女子スポーツの道。今後も多くの女性が新たな栄光を打ち立てるに違いない。
ドラマと新星生む 絹枝顕彰の山陽女子ロード
人見絹枝を顕彰しようと、岡山市では1982年から毎年12月に「山陽女子ロードレース大会」が開かれている。若手の登竜門として定着し、これまでに有森裕子、野口みずき両選手らが巣立っていった。
特に、絹枝と同じ同市出身の有森さんは、第1回大会から計11度出場。92年に20キロの部で優勝したのを機に飛躍し、92年のバルセロナ五輪女子マラソンで銀メダルを獲得した。有森さんが五輪の陸上女子では絹枝以来64年ぶりのメダリストとなった8月2日は、絹枝がアムステルダムで栄光を手にしたまさにその日だった。
現在の山陽女子ロードレースは10キロ、ハーフマラソンの2部門。10キロは人見絹枝杯、ハーフマラソンは有森裕子杯と、郷土が誇る2人の女性ランナーの名が冠されており、毎回数多くのドラマを生み出している。
1928年のアムステルダム五輪。陸上女子800メートルで日本女性初の銀メダルを獲得した人見絹枝は、時に冷たい視線をはねのけ、ひたすら走り跳び、女子スポーツの道を切り開いていった。
母校・福浜小(岡山市南区福富東)の中庭には、軽やかに走る絹枝の銅像が立つ。男女入り交じって駆け回る今の子どもたちを、どんな思いで見ているだろうか。
未経験の800メートルで銀メダル 執筆や指導 普及にも尽力
「位置について。よーい…」。口をぎゅっと結んだ子どもたちがスタートラインにつく。パーン! ピストルの音が響き、一斉に駆け出した。
岡山市南区福富東の福浜小学校。7月、きつい日差しが残る夕方の校庭で、人見絹枝の小さな後輩たちが短距離走やリレーの練習に励んでいた。
同校では、陸上競技の大会がめじろ押しの夏から秋にかけて、始業前や放課後に児童が練習を重ねる。毎年2月には「人見絹枝杯」と名付けた校内の800メートル走大会も開く。
「子どもたちには何事もあきらめない人見選手の粘りや強い心を受け継いでほしい」と岡本利明校長。授業や全校の集まりなどで、折りに触れて同校出身の絹枝の活躍を話すのだという。
■
絹枝は1907年、今の同市南区福成の農家に生まれた。少女時代からスポーツ万能で知られ、岡山高等女学校(現・操山高)在学中に岡山県の陸上大会走り幅跳びで4メートル67の日本記録(非公認)で優勝。陸上の世界に第一歩を踏み出した。
「炎のスプリンター」と称される絹枝の不屈の精神力が発揮されたのが、28年のアムステルダム五輪。優勝候補の100メートルで準決勝敗退したものの、「これでは日本に帰れない」と、未経験の800メートルを走り、銀メダルに輝いた。
「100メートルの選手が800メートルに出場するなんて、今では考えられない。100メートルで敗れた悔しさがよほど大きかったのだろう」と天満屋陸上部の武冨豊監督(55)は舌を巻く。
「初めて走って当時の世界記録を破るタイム。80年経た今も五輪のトラック個人競技で日本人メダリストが出ていないことを考えると、まさに不世出のアスリートといっていいでしょうね」
■
鈍く輝くメダルや優勝カップ、ユニフォーム…。天満屋の選手も練習する桃太郎スタジアム(同市北区いずみ町)内にある遺跡&スポーツミュージアムには、アムステルダム五輪の銀メダルの複製をはじめ、絹枝ゆかりの品々を展示。あらためて偉業に驚かされる。
「陸上競技者としては誰もが認めるところ。だが、人見にはさらに偉大な功績がある」。長年、絹枝の研究を続ける三澤光男日本女子体育大名誉教授(78)=東京都=は力を込める。
女性の運動ははしたないとする風潮が根強かった当時。絹枝の活躍にも心ない言葉が浴びせられていた。
国際大会で欧州を転戦した絹枝は、男女問わず、人々が余暇にスポーツを楽しむ姿に衝撃を受けたとされる。自らの競技の傍らで陸上の技術指導書や自叙伝を執筆し、全国を回って女学生を教え体験を語り、女子スポーツの普及と後輩の育成に尽くした。
「社会に与えた影響は計り知れない。人見は自身の記録向上のみならず、スポーツ振興という広い視野を持っていた」と三澤教授。マラソンや柔道、レスリングなど近年活躍が目覚ましい女子選手。「これらの原点に人見の存在があるのは間違いない」と評価する。
特に岡山県は、バルセロナ五輪女子マラソン銀メダリストの有森裕子さんら世界的な選手を次々に輩出。天満屋所属の中村友梨香選手は昨年の北京五輪に続き、開催中の世界陸上選手権にも出場を果たしている。
人見が切り開いた女子スポーツの道。今後も多くの女性が新たな栄光を打ち立てるに違いない。
ドラマと新星生む 絹枝顕彰の山陽女子ロード
人見絹枝を顕彰しようと、岡山市では1982年から毎年12月に「山陽女子ロードレース大会」が開かれている。若手の登竜門として定着し、これまでに有森裕子、野口みずき両選手らが巣立っていった。
特に、絹枝と同じ同市出身の有森さんは、第1回大会から計11度出場。92年に20キロの部で優勝したのを機に飛躍し、92年のバルセロナ五輪女子マラソンで銀メダルを獲得した。有森さんが五輪の陸上女子では絹枝以来64年ぶりのメダリストとなった8月2日は、絹枝がアムステルダムで栄光を手にしたまさにその日だった。
現在の山陽女子ロードレースは10キロ、ハーフマラソンの2部門。10キロは人見絹枝杯、ハーフマラソンは有森裕子杯と、郷土が誇る2人の女性ランナーの名が冠されており、毎回数多くのドラマを生み出している。






