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井伏鱒二(福山市) 代表的昭和文士

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井伏鱒二の生家近くに建つ文学碑は、鱒二が釣りを楽しんだ小川を見下ろしている
井伏鱒二の生家近くに建つ文学碑は、鱒二が釣りを楽しんだ小川を見下ろしている


 いぶせ・ますじ 1898~1993年。本名・満寿ニ。父は現井原市西江原町からの婿入り。福山中学(現誠之館高校)から、早稲田大高等予科、同大文学部文学科仏蘭西文学専攻と進むも、教授との不和で中退。1927年小説で初めて原稿料を得、創作活動を本格化、結婚。38年「風来漂民奇譚 ジョン萬次郎漂流記」及びユウモア小説で直木賞。41年陸軍徴用、翌年2月報道班員としてシンガポールへ渡り11月まで過ごす。戦後は多数の作品を発表するかたわら、直木賞、芥川賞の選考委員なども務めた。65年から66年にかけて「新潮」に「黒い雨」を連載。同年文化勲章受章。93年死去。享年95。
 このさかづきをうけてくれ

 どうぞなみなみつがしておくれ

 はなにあらしのたとえもあるぞ

 さよならだけが人生だ

 井伏鱒二ファンならおなじみのフレーズだ。出典は「厄除け詩集」の中の「勧酒」。これが故郷福山市加茂町の山中に建つ文学碑に刻んである。

 死後2年の1995年、地元の熱意で建立、顕彰の象徴となっている。ほぼ2メートル角の立派な御影石だ。

 碑の建つ場所は、鱒二作品の複数の舞台になっている。昭和文壇の重鎮として名をとどめる鱒二はまた、望郷の人でもあった。

故郷題材に活路 「黒い雨」で世界的作家に

 JR福山駅の北口から、福山城の石垣を仰ぎながら歩いて10分弱。和風の建築物が「ふくやま文学館」だ。井伏鱒二の故郷福山市加茂町地方の民家をイメージして建てられた。

 外見がそうなら、中身もまた鱒二が中心で、常設展の3分の2を占める。残る部分が他のゆかり作家だから、さながら「井伏鱒二文学館」だ。ことほど左様に鱒二は、地元にとって特別で、敬愛するファンも多い。「鱒二の文学館を造ろうという地元の情熱が開館の下地にあります」と磯貝英夫前館長=広島大名誉教授=(86)。

 展示は膨大な著作類はむろん、主要作品の解説からその生涯の系譜、遺品類、鱒二が最期まで過ごした東京・荻窪の書斎の再現までしてある。まるごと鱒二ワールドなのだ。

 ▽文学碑

 鱒二の故郷は、ここからずっと北方、JR福塩線万能倉駅からでも北へ8キロばかりのところで、鱒二のころは加茂村といっていた。南北に続くニつの山並に挟まれた山村だ。

 「路は最後に急な坂みちになつて、その坂をのぼると路ばたに辻堂と大きな石地蔵の建つてゐるところで車夫は梶棒を卸した」鱒二が「集金旅行」でそのように書いたままの辻堂、石地蔵が今も残り、地蔵の目線の急坂を登ると、高い石垣を持つ旧家然とした建物があり、それが生家だ。身内が住んでいる。

 文学碑は生家の近くで、鱒二が鮠(はえ)釣りを楽しんだ四川(しかわ)を見下ろす場所にある。ここは小林秀雄の賛辞を得て、文壇浮上のきっかけとなった「丹下氏邸」や「谷間」「朽助のゐる谷間」「白毛」などの舞台で、「丹下氏邸」のモデルの豪邸も指呼の間に残っている。

 故郷や田舎を題材にした作品はこのほかにも多く、それは井伏鱒二という作家の特徴だ。「望郷の人」といわれるゆえんでもある。

 「東京の知識人と肌合いが合わず、悶々としていた文学青年の時代があり、故郷を題材とすることで活路が開かれた。故郷を題材にすると、作品が伸びやかで、文壇では異質です」と、磯貝前館長は見ている。

 だから故郷にファンも多いのだろう。加茂町には「井伏鱒二在所の会」(38人)なる顕彰団体があり、毎年「鱒二忌」を開いてしのぶなどの活動を続けている。文学碑の建立も、その存在が大きな力になった。

 会の中心が会長の舘上敬一さん(91)。鱒二の生前深い交流を続けてきた。福山市議時代の昭和50年代前半、とあるきっかけで鱒二の顕彰を思い立ち、作品を中心に資料集めを始めた。東京・神田など古書店を回り、数百万円をかけて2500点ほども集めた。これはのちに「ふくやま文学館」の展示物として大きく貢献することともなった。

 作品がある程度集まった1982年、地元で文学展をしようと鱒二に手紙を書いたところ、恥ずかしがり屋の彼は丁寧に断ってきた。ままよと、荻窪の自宅に会いに行ったら、気さくに上げてくれた。故郷の話などに花が咲いて、意気投合。文学展の許しはならなかったが、以来の家族ぐるみの付き合いが始まった。

 「先生には田舎言葉が懐かしかったらしい。酒もよく飲まされました」と舘上さんは交友に思いを馳せる。

 教科書でもおなじみの有名作「山椒魚」の原形「幽閉」で25歳のときデビューしたものの、直木賞を得たのが40歳。若いころは決して華々しい活躍はないが、実力は年とともに発揮せられ、文壇の重鎮にのし上がるとともに、66歳から68歳にかけて雑誌に連載した被爆者がテーマの「黒い雨」で名声を不動のものとした。

 磯貝前館長は、「『黒い雨』で世界的な評価を得、ノーベル賞候補にもノミネートされました。文学史的には、昭和を代表する作家として、川端康成と双璧(そうへき)でしょう」と位置付けている。


(2009年4月6日掲載)

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