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| 酒呑地蔵(手前)に酒を供える中塚さん |
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瀬戸内海に注ぐ小田川に沿って広がる倉敷市児島小川地区。住宅街の一角に立つ大師堂の敷地内に、小さな二体の石仏をまつったお堂がある。二体のうち、向かって左側で穏やかな表情を浮かべて座っているのが「酒呑地蔵」だ。
「“受験の神様”と言われていて、高校受験のときには、初恋の男性の合格を勝手に祈っていました」。中塚真由美さんが、少女時代を振り返りながらほほ笑む。
酒呑地蔵は、台座を含め高さ約一・二メートル。安永三(一七七四)年の作で、もともとは近くの造り酒屋の庭にあったという。酒好きの父に困り果てた娘が、酒を供えて父の禁酒を願ったのが名の由来とされている。
地元の人たちの話では、合格にご利益があると言われ出したのは、一九六〇年代ごろ。受験生の子を持つ大阪の新聞記者が、「合格祈願」と書いた紙を地蔵にはって写真を撮り、記事にしたことがきっかけだそうだ。中塚さんは「小学生のころ、関西から車で来た人に酒呑地蔵への道を尋ねられたことがある」と話す。
近年は県外からの参拝客こそ減ったが、受験シーズンになれば市内の中高生や家族らが訪れ、手を合わせる。地元の人にとっては、日々の健康や困り事の解決の願いを掛ける対象としても生活に溶け込んでいる。
今年に入って毎日欠かさずお参りしているという菅野悦江さん(71)は「悪かった体調が治ったときは、お地蔵様に助けてもらった気がしました。家でも、ふとお堂に向かって手を合わせるときもあります」と言う。
菅野さんら地元の女性有志数人は、一カ月ごとに当番を決めてお堂に花を飾ったり、周囲を掃除する。毎年、弘法大師の命日(旧暦三月二十一日)に開く祭りでは、酒呑地蔵に供えられた酒が振る舞われ、参拝客でにぎわう。一九九八年にお堂を建て替えた際には、地元以外の町内会からも多くの寄付金が集まった。
中塚さん自身も小学生のころは毎日、学校帰りに酒呑地蔵の前で手を合わせていた。最初は「帰りました」とあいさつしていただけだったが、やがて学校での出来事を報告したりするようになっていた。
最近は参拝する機会も少なくなった中塚さんだが「お地蔵様は私たちの心のよりどころ。地域で協力し、守っていきたい」と感じている。久しぶりに顔を見るお地蔵様に、酒を供え、静かに目を閉じた。
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