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自然基地周辺を散策しながら「ここは僕にとってのフィールド・オブ・ドリームス」と話す内山さん |
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いつのころからだろうか、野原から子どもの歓声が消えたのは。だが、今でも時折元気な声がこだまする場所がある。
「アメンボ捕まえた」「ヤゴ見っけ!」
バシャバシャと水しぶきを上げながら、子どもらが小川を駆け回る。
三方を山に囲まれた西坂の一ヘクタールほどの野原。普段は草の茂った空き地にすぎないが、子どもが現れたとき、野原は“自然基地”に早変わりする。
野外活動を通じて子どもの育成に取り組むNPO法人自然体験活動支援センター(倉敷市西岡)が、昨年から毎月開いている「モモタロウ自然体験教室」。小学一~三年生を対象に五月下旬に行われたメニューは、川遊びと山歩き。広場には終日、にぎやかな声が響きわたった。
「いつもは家でテレビゲームをしているけど、ここで遊ぶ方がずっと楽しい」。葦高小三年洲脇匠太朗君(8つ)が笑った。
ピンク色の花をつけたツツジや松林の緑に彩られた自然基地に、子どもらが帰ってきたのはつい最近のことだ。
広場は、農業用ため池を埋め立てた跡の市有地で、荒れ放題になっていた。四年前から「倉敷の自然をまもる会」(河辺誠一郎会長)が、里山を復活させようと地元住民とともに整備。草刈りや竹の伐採、道の整備などを行い、今では「奥西坂自然基地」の名称で親しまれている。
西坂で生まれ育ち、同会員でもある内山貞和さんも整備に参加した中心メンバーの一人。少年時代にはこの周辺で、毎日のように遊んでいたという。
「あるのが当たり前」と思っていた里山だが、消えるのはあっという間だった。昭和三十年代になり、プロパンガスの普及に伴い薪拾いの必要がなくなると、人々の足は山から遠き、里山から子どもの声も消えた。山は急速に荒れていった。
「古里に居ながら、古里を喪失していく。やるせなさをずっと抱えていた」という内山さん。「自然基地のおかげでずいぶん救われた」と言葉を継いだ。
午後からは、内山さんは子どもとともに周辺の山を歩いた。「ここは昔の隠し田の跡」「これは三十歳の時に植えた桜の木」。ポンポンと思い出話が飛び出す口から、こんな言葉がこぼれた。
「ここは僕にとってのフィールド・オブ・ドリームス(夢の野原)。この風景をいつまでも残したい。いや残さなければならない」
教室の最後は、感想ノート書き。「カナヘビをつかまえた」「大きな石を見つけた」「すごくたのしかった」―。どの子のページにも、元気の良い文字が躍っていた。 |