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| 街を一望できる亀島山山頂の公園を歩く朝倉さん |
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水島地区の市街地にそびえる亀島山(七八メートル)。山すそに裂け目のように空いた入り口をくぐると、外界の音が消えた。手にしたライトで闇を照らすと、岩肌が不気味な陰影を描く。廃材などが捨てられ足場の悪い中を進むと、車二台が並んで通れるほど広い空間に出た。
戦争末期、空襲を避けるため、軍用機を作っていた三菱重工業水島航空機製作所の一部を移転させた地下工場跡。縦横に張り巡らされた総延長約二キロに及ぶトンネルは、動員された多くの朝鮮人が軍の厳しい監視下で掘削したという。
「無理に働かされ、ひたすら穴を掘った人たちの苦労を思うと胸が詰まります」。朝倉さんが沈んだ声で漏らした。
朝倉さんは昨年、戦争を語り継ぐ市民団体の呼び掛けで、初めて地下工場跡に入った。その時、自身が旧満州(中国東北部)で終戦を迎え、引き揚げ船で帰国した日のことをまざまざと思い出したという。
「船の中で病人が次々亡くなり、海に葬られました。この工場跡も、戦争で罪もない人が苦しみ、日常を奪われた場所。重なるものがあります」
奥に進むにつれトンネルは細くなる。一部はコンクリートで固めているが、大半は岩がむき出しで落盤跡も多い。中でも「第二トンネル」と呼ばれる南寄りの地下道では、巨大なコンクリート天井が崩落していた。
「ここは、掘削中の落盤で作業員が亡くなった現場です」。案内役の倉敷市大内、高校教師土屋篤典さん(40)が教えてくれた。
傍らの壁には、落盤事故の直後、生き残った元作業員が目印として壁の亀裂に置いた梅干しの種が、六十余年の時を経て今でも残る。だが、その人もすでに亡い。
工場跡を出て、山頂の公園に登った。水島の街やコンビナートが一望でき、緑も多い。市民が散策を楽しむのどかな光景からは、地下の様子は想像もできない。
朝倉さんは言う。「明るい公園の下に、暗い記憶を強烈に留める工場跡がある。戦争と平和を象徴する山として、もっと多くの人に浸透してほしいですね」
(伊東圭一)
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