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ぼくは、倉敷工業高応えんだん長の藤田真司さんにインタビューした。
取材するのははじめてで、応えんの人がたくさんいて、あっとうされたから、どきどきした。
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| 甲子園では、メガホンで大きな声援をおくっていた |
応えんだんのだん員は十四人。「どうして応えんだんになろうと思ったのか」と聞くと「かっこいいから」と答えてくれた。大きな声で、全員心を一つにしてがんばっているすがたを見て、感動した。応えんする時は「野球部とブラスバンド部の人と息を合わせることと、旗を正確にふることに気をつけている」と教えてくれた。
応えんだんがもっている大きい旗はとても重たそうに思えたが、応えんだんの人はしっかりと持っていたので、すごいなあと思った。
練習は六月中旬から本格的にしていたそうだ。毎日の練習の成果が出ていて、野球部、ブラスバンド部とよく合っていたと思う。
ぼくもしょう来、応えんだんに応えんしてもらえるような野球せんしゅになりたい。
ぼくは八月八日、“がんばれ倉敷工業高”の応えんバスで甲子園に行った。でも、この日は台風のえいきょうで、四回裏でノーゲームになった。
次の日の九日、前日と同じバスで甲子園に行った。倉工の卒業生である倉敷市の藤澤勝彦さん(65)は「岡山県大会決勝では、負けそうだったから応えんに行った。昨日も相手におされていたから今日は応えんに来た」と話していた。
三塁側のアルプススタンドが倉工の応えん席だった。こうげきの時はみんな立ってバッターの名前を言って応えん。マスカットスタジアムでの試合の時よりも熱気があって、ぼくもつられて大きな声をだした。四回から雨がふりだした。七回裏でピンチになった時は「レッツゴー陶山!」とみんな立ち上がって、必死になって声援をおくった。
倉工が五対二で勝ち、二回戦にこまを進めた。みんなは、とても大きなはく手をしたり、メガホンをたたいたり、「よく頑張った」と選手に声をかけたりして、すごくよろこんでいた。
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