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2001年6月26日
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社 会
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バリアフリーの道を
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【岡山市中央北小五年・古川果奈】私の母は、二年前に病気になり、しょうがいがのこった。父の仕事のつごうで岡山に行くことになった。母は、いきなり岡山に行くと、たよる人がいないので、私のおばあちゃんのいる松山に行くことにした。そして一年が過ぎ、岡山に来ることにした。![]() 母は近くのリハビリテーションセンターでまいしゅう、リハビリを受けている。リハビリセンターでステッキをかり、ついて歩いている。母に歩きやすい道、歩きにくい道を聞いた。 「歩きやすい道は歩道がある道、歩きにくい道は歩道がない道」と答えた。でも歩きやすい道でも、自転車が二れつになって走っていたりすると歩きにくい。あともう一つ他に不便な所はと聞くと「信号」と答えた。「青になりわたろうとすると、赤なのに信号むしする人がいるから」と答えた。ステッキをもって歩くと「まわりの人が見てくるのがいやだから、あまり外には出たくない」と私の母は言っていた。 けんこうな人をけんじょう者で、母のような人をしょうがい者という。 外はけんじょう者の人が当然多く、そのように道路もすべて作られているので、外に出るのは大変なことだ。このことは「今までけんこうな時には、気づかなかった」と話していた。 |