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那須さんの様子を記録したノート。宮岡さんが書き添えた感謝の言葉にヘルパーも支えられた
第1部 支えの場で (10) 家にいたい

  母の意思、かなえた娘

 「入院した方がいいかもしれません」

 昨年十一月五日昼、岡山市門田屋敷。那須春江さん=当時(97)=の状態をみた訪問看護師は、その場で長女の宮岡美子さん(72)=同市中井=に言った。

 朝から反応が鈍かった。眠りが深い時も同じようになるので判断は難しいが、血圧が低下し、たんも絡んでとれにくい。「治療」を優先するなら病院が安心だと思った。

 だが、美子さんは「このまま家にいさせてほしい」と答えた。この年、誤嚥(ごえん)性肺炎で二度入院、「もう入院したくない」と母が強く言っていたからだ。

 点滴を打ち、いったん顔色は良くなった。しかし、その後、次第に呼吸が短くなる。

 午後二時、永眠。美子さんにみとられての安らかな最期だった。

            

 要介護5で一人暮らし。ケアマネジャーの内藤さやかさん(38)には初めてのケースだったが、「できる」という確信もあった。

 認知症がない、自分の口で食べられる―。もろもろの条件に加え、「家にいたい」との本人の意思の固さと、それを理解し全面的にバックアップする長女がいたからだ。

 入院中、おむつを当てられ、人の手で食事させられることを悔しがった春江さん。敬虔(けいけん)なクリスチャンで「夫と過ごした家から天国に行きたい」という願いも強かった。一人の時間が多かったが、飼い猫のチーコが枕元に寄り添い、寂しさをまぎらわせてくれた。

 美子さんは一日一回実家に行った。連携を円滑にするため連絡ノートを作り、ヘルパーへの感謝の気持ちも書き込んで伝えた。容態が悪化しても、思いを共有したケアスタッフから「施設入所はどうですか」と言い出すことはなかった。

            

 二〇〇一年から七年間続いた春江さんのケア体制。一方で、支える側の環境は徐々に変わってきていた。

 在宅サービスの柱である訪問介護は介護報酬が相次いで切り下げられ、利用の制限も増えた。

 「那須さんの『深夜』は途中から私を含めた五十代の二人でしのいできた」とヘルパーの神谷和恵さん(54)。

 神谷さんが勤めるNPO法人は、ヘルパー数がピーク時の六~七割、派遣件数も半分近くに減った。人のやりくりが厳しく、大雪の日の深夜、神谷さんは娘に近くで車を待機させて春江さん宅を訪問したことがある。

 「サービスが使いづらくなり、介護する家族も高齢化している。在宅に限界を感じる場面が増えているのでは」と神谷さんは言う。

 制度発足時から伸び続けた岡山県内の訪問介護の事業者数は、〇七年度から二年連続で減少している。

            

 要介護5の春江さんが使える介護保険サービスの限度額は月三十五万円余だったが、当初はオーバーし、六、七万円の自己負担があった。

 助けたのは、孫二人と春江さんが通った教会、親しかった近所の人たち。家に来て食事介助や見守りをしてくれた。ヘルパーの訪問回数が減り、途中から限度額でほぼ収まったという。

 「介護保険は必要最低限のものでしかない」。制度の歩みとともに「在宅」を見つめてきた内藤さんは、家族、地域を含めた多様な支え合いの力の大きさを感じている。

 

(2009年2月21日朝刊掲載)

 


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