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揺れる移植医療
臓器提供の意思が記された妻のドナーカード(上)と法施行前に所持していた腎臓提供者カード。二男への生体移植がきっかけとなった
臓器提供の意思が記された妻のドナーカード(上)と法施行前に所持していた腎臓提供者カード。二男への生体移植がきっかけとなった
第5部 足踏み 5 約束 カードに刻む妻の思い

 北海道南部。山すその自宅で、野沢一郎さん(72)=仮名=が一枚のドナーカード(臓器提供意思表示カード)を袋から取り出した。

 心臓、肺、肝臓、腎臓に丸印。署名欄には妻の名前。日付は二〇〇〇年一月五日とある。

 「この日は妻の誕生日でね。贈り物代わりに確認のサインをしてあげるよ、なんて私も言ってました」

 十カ月後。妻は突然、帰らぬ人となった。カードとともに、臓器提供という夫婦の「約束」だけが残された。そして約束は果たされた。

   □   ■

 二〇〇〇年十一月、六十代の妻は、脳内出血で市立函館病院に入院中に容体が急変した。突然の呼吸停止、深いこん睡。

 未明に急を聞いて病院に戻った野沢さんに、医師は頭部のCT(コンピューター断層撮影装置)画像を見せた。目の前に示された妻の頭の中は灰色一色。「回復の見込みはない」と告げられた。

 朝になって「臓器を提供します」と申し出た。「人工呼吸器で生かされるのは妻の本意ではないはず。私は『脳死』が何なのかも理解していた」

 何より、妻との約束を果たさねばという一念があった。

 妻がドナーカードを持ったのは、二男への生体移植がきっかけだった。二男は小学生で腎炎を患い、高校からは透析生活。大学に入って病状が悪化し、体重が四十キロにまで落ち込んだ。「家族にはずっと死の影がつきまとっていた」と野沢さんは言う。

 一九八五年。妻から腎臓の一つをもらった二男は劇的に元気になった。

 「移植医療のすばらしさを実感した。だから、ドナーカードに込めた妻の思いもよく分かった」

   ■   □

 提供の申し出から四十時間後。二度の法的脳死判定を経て、妻の体から臓器が摘出された。心臓と肺は医学的理由で提供が見送られたが、肝臓は京都大病院、残る腎臓の一つは市立札幌病院で、それぞれ移植された。

 臓器移植法施行(一九九七年)から九例目のケースだった。

 「妻との約束は果たせた。後悔は全然ない」と野沢さんは振り返る。しかし、当時はいらだちもあった。

 二回目の脳死判定が終わったのは午後十時。ところが移植コーディネーターは「摘出チーム(京都大病院)の到着はあすの午後」と言った。がくぜんとした。

 「時間が経過して、もし臓器がだめになったら…。『自衛隊(機)でも何でもいい、飛ばしてくれ』と、繰り返しお願いした」

 結局、翌日の早朝、北海道大から摘出チームが駆け付けてきた。

 「命のリレーと言うのなら、もっと善意を生かす万全の準備をすべきではないか」

   □   ■

 臓器提供の経験を通じて、野沢さんにはさまざまなものが見えてきたという。家族には臨床的脳死から法的判定までが長く感じられること。弾力性を欠くネットワーク側の運用。そして、普及のかぎをにぎるドナーカードの問題もある。

 日本臓器移植ネットワークによると、ドナーカードはこれまでに一億枚が配布され、一千万人程度が所持しているという。だが、「それはただ配っているだけ。フォローがない」と野沢さんは感じている。

 「本人と家族が話し合い、提供の意思を十分に確認しておくことを啓発しなければいけない。提供を承諾した家族が不幸になっては何にもならない」

 バックナンバー
第5部 足踏み
1 闘い ドナー少数 法に一因 (2007/6/12)
2 戸惑い 救命と脳死 どう対応 (2007/6/13)
3 見えない死 「答え」出すのは家族 (2007/6/14)
4 ダブルスタンダード 矛盾生み現場に混乱 (2007/6/15)
5 約束 カードに刻む妻の思い (2007/6/16)
6 グリーフケア ドナー家族に癒やし (2007/6/18)
7 二つの改正案 節目の年 行方見えず (2007/6/19)
8 15歳の壁 難しい脳死判定課題 (2007/6/20)
9 脳死論議再び 国を二分、見えぬ出口 (2007/6/21)
10 枠組み 専門機関の新設必要 (2007/6/22)
11 アジアの苦悩 進まぬ脳死への理解 (2007/6/24)
12 夢 免疫寛容の謎解明へ (2007/6/25)
13 宝物 問われる命のリレー (2007/6/26)

第4部 生体の光と影
1 プレゼント 元気くれた母の肝臓 (2007/5/25)
2 宿命 リスクと向き合う選択 (2007/5/27)
3 2人の肺 葛藤から感謝へ変化 (2007/5/28)
4 リスク ドナー死亡、再入院も (2007/5/30)
5 重圧 家族に暗黙の強制力 (2007/6/1)
6 ドナーの保護 法による規制不可欠 (2007/6/2)
7 ケアの要 患者、ドナーに安心を (2007/6/3)
8 現実 緊急避難 今や“主流” (2007/6/4)

第3部 アメリカからの報告
1 みらいちゃん 日本で打つ手なく渡航 (2007/4/17)
2 ジグソーパズル 多臓器 (2007/4/18)
3 ゴッド・ハンド 40年間 世界をリード (2007/4/21)
4 UNOSの今 臓器不足に対応苦慮 (2007/4/22)
5 腎疾患戦略 糖尿病の発症減らせ (2007/4/24)
6 “B級臓器” エイズ陽性でも活用 (2007/4/26)
7 ドナー交換 「生体」際限なく拡大 (2007/4/27)
8 ギフト・オブ・ライフ 脳死患者の情報機関 (2007/4/29)
9 報酬制度 臓器売買懸念の声も (2007/4/30)
10 誇り 生き続ける娘の遺志 (2007/5/1)
11 5%ルール 臓器不足に外国人枠 (2007/5/2)
12 ジレンマ 患者は増え続けるが… (2007/5/3)

緊急寄稿 病気腎をめぐって
1 日本移植学会理事 清水信義 提供者保護が不十分 (2007/4/3)
2 泌尿器科医 万波廉介 患者に希望与え得る (2007/4/4)
3 岡山大大学院教授 粟屋剛 問われる「真の倫理」 (2007/4/3)
4 岡山大名誉教授 折田薫三 自ら「第三の道」断つ (2007/4/6)

第2部 命をつなぐ
1 シャント 「いつだめになるか」 (2007/3/10)
2 人工腎臓 70年代 苦難の幕開け (2007/3/11)
3 不安 心通わせるケア必要 (2007/3/13)
4 高齢化 福祉との谷間であえぐ (2007/3/14)
5 腎疾患戦略 糖尿病の発症減らせ (2007/3/15)
6 贈り物 新たな“命”も授かる (2007/3/16)
7 ローカルネット ドナー求め病院巡り (2007/3/19)
8 実らぬ善意 脳死と混同、誤解も (2007/3/20)
9 ドナー発掘 献腎の実績に地域差 (2007/3/22)
10 選択肢 臓器提供の道伝える (2007/3/25)
11 うそ 新たな命に思い複雑 (2007/3/26)

第1部 病気腎の波紋
1 延長線 困っとる患者のために (2007/2/2)
2 原点 どうせ捨てる臓器なら (2007/2/3)
3 迷い 公表「がん」がネック (2007/2/4)
4 独自ルート 「宝くじ」の確率なら (2007/2/5)
5 ばらずし 海渡る感謝の気持ち (2007/2/6)
6 学会 歴史の中で原則築く (2007/2/8)
7 一人の世界 「怖いことやっている」 (2007/2/9)
8 ドナーの意思 かぎ握る自発的同意 (2007/2/11)
9 出合い頭 公平の原則どう保つ (2007/2/12)
10 臓器売買 「起こるべくして…」 (2007/2/15)
11 うねり 患者の立場から関心を (2007/2/17)
12 パイオニア 情報公開徹底が第一歩 (2007/2/18)

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