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| 脳低体温療法に取り組む日本大学付属板橋病院の救命スタッフ。脳に重い障害を負った患者が奇跡的に回復することもある |
第5部 足踏み 3 見えない死 「答え」出すのは家族
冷たい水が流れる“水冷式毛布”で体をくるむと、体温は約三四度に保たれる。五日から一週間。全身を冷やして脳圧を下げ、脳細胞の壊死(えし)をくいとめる。
日本大学付属板橋病院(東京都板橋区)の脳低体温療法。一九九〇年代初め、わが国で初めて本格導入した。交通事故による外傷やくも膜下出血などで脳に重い損傷を受けた患者が、ケースによっては奇跡的な回復をみせることで知られる。
鹿島寿美江さん(69)=同所=の意識が戻ったのは、入院して八日目だった。昨年十月、入浴中に心臓まひ。心肺停止状態で運ばれ、すぐに脳低体温療法が施された。浴槽に沈んでいたため体温が高く、大量に水を飲んでいた。脳死や植物状態になる可能性もあった。
退院後もリハビリを続けた今、鹿島さんに後遺症はほとんどない。「いろんな人から、あんたは一度死んだ身だと言われる。運が良かった」
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同病院ではこれまで、約二百例に脳低体温療法を実施。心肺停止では五~六割、頭部外傷はややそれより低いが、多くの患者に効果があった。
脳死か心停止を待つだけだった重症患者の蘇生(そせい)限界点を大きく伸ばしたこの治療法は、それまでの救命救急の“常識”を覆した。
「脳低体温療法は端的に言えば、脳死になるのを防ぐ治療法」と同病院の守谷俊講師(43)。
だが、一度「脳死」になった患者が回復することはない。脳死とは、不可逆的な死、後戻りできない死だ。人工呼吸器で心臓は動くが、脳幹、あるいは脳全体は死んでいる。時間がたつと、確実に心臓死を迎える。
「でも、数々の奇跡を目の当たりにすると、蘇生限界点がどこにあるのか。正直、答えは見つけにくくなった」。守谷講師は話す。
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厚生労働省によると、脳死が発生する割合は全死者の約1%。毎年約百万人が死亡する日本では、約一万人が脳死になる勘定だ。
自発呼吸停止、心停止、瞳孔の散大。心臓死は誰の目にも明らかな三兆候で判定される。一方、「見えない死」と呼ばれる脳死患者は、人工呼吸器の助けで息をしており、体も温かい。
水島中央病院(倉敷市水島青葉町)理事長の秋岡達郎医師(脳神経外科)は「家族にとって、脳死は納得しがたい死だ」という。
脳死を家族に説明するとき、「体が温かいのに『死』という言葉を安易に使わないで」と抗議を受けたことも一度や二度ではない。
「治療を尽くしても患者が脳死になれば医師は負い目を感じる」と秋岡医師。「個人的には、脳死は臓器の死であり、人の死ではないと思っている」とさえ言う。
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脳死は「人の死」か―。この議論は一九八〇年代以降、ずっとわが国の世論を二分してきた。八五年、厚生省の脳死に関する研究班が脳死判定基準(竹内基準)を作成。八八年には、日本医師会生命倫理懇談会が「脳死は個体の死」とする見解を発表した。
その後の、脳死臨調最終答申(九二年)、臓器移植法施行(九七年)をへてもなお、脳死に向き合う医療現場の“最前線”は揺れている。
守谷講師はこう考える。
「脳死になれば助からないが、人それぞれ宗教観があり、家族への思いもある。脳死が人の死かどうか。決めるのは医者ではなく、家族ではないだろうか」 |