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揺れる移植医療
病室から岡山市街地を眺める美穂さん。脳死肺移植を希望するが、まだチャンスは来ない=岡山大病院
病室から岡山市街地を眺める美穂さん。脳死肺移植を希望するが、まだチャンスは来ない=岡山大病院
第5部 足踏み 1 闘い ドナー少数 法に一因

 岡山市中心部を見下ろす丘の上の自宅。ベッドに上半身を起こし、苦しい呼吸を整え、切れ切れに思いを絞り出した。

 「この一年半、やっぱり長い時間でした。さらにまだ、待たなくちゃいけないと思うと…」

 川上美穂さん(31)=仮名。岡山大病院での脳死肺移植を希望する待機患者。酸素と二酸化炭素のガス交換ができなくなる閉塞(へいそく)性細気管支炎で、二〇〇五年十一月、日本臓器移植ネットワーク(移植ネット)に登録した。チャンスはまだ、やって来ない。

   □   ■

 二〇〇一年、白血病を発症。骨髄移植で回復したが、それは新たな闘いの始まりだった。

 移植片対宿主病。移植された骨髄が美穂さんの肺を異物とみなして攻撃する、いわゆる拒絶反応だ。骨髄移植から二年がたっていた。

 気管支が狭まると、肺が膨れて空気漏れを引き起こす。激しい痛みが襲った。体内に二酸化炭素がたまることで幻覚症状も出た。日中は鼻からチューブで酸素を補給。夜も酸素マスクなしに寝られなかった。

 両親が望んだのは、娘に肺を提供する生体肺移植。しかし、ドナー(臓器提供者)の年齢は五十五歳以下という条件でかなわなかった。

 脳死移植登録は、「他人の死」を待つことでもある。母親の享子さん(66)=仮名=は言った。

 「娘のことだけ考えるのは身勝手かもしれない。でも、移植に希望を求めて毎日を過ごす娘を、何とか助けてほしい」

   ■   □

 五十五例―。一九九七年の臓器移植法施行以来、国内で積み上げられた十年間の脳死移植の数だ。年間約八千人がドナーになる米国など諸外国とは大きな落差がある。

 移植ネットによると、脳死・心臓死での移植を希望する患者数は約一万二千人。このうち、脳死肺移植は川上さんら二百九十六人がこれまでに登録し、三十四人(11%)が実現。百十一人は亡くなった。

 移植の機会が乏しい要因の一つは、世界的にも厳格な提供要件を定めた臓器移植法だ。

 同法は、臓器提供する場合のみ脳死を人の死と定め、本人の書面での意思表示と家族の承諾の二つを求める。十五歳未満の子どもは対象外だ。法の施行時から提供数は少ないことが予想され、三年をめどにした見直しを付則に示している。

 だが、見直しの機運は一向に高まらない。移植拡大を図る二つの法改正案が国会に議員提案されているものの、審議入りには至っていない。

 患者の不満は大きい。

 全国五団体で組織する臓器移植患者団体連絡会の大久保通方代表幹事(60)は「見直しを長年放置してきた国会議員や国の責任は重い。彼らの不作為で多くの命が奪われている」と憤る。

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 なぜ、わが国には脳死移植が根付かないのか―。欧米とは違う生命観や倫理観。医療スタッフの間でさえ、「脳死を人の死」とすることに戸惑いを感じる人もいる。

 この十年、脳死移植は「停滞」した。

 取材に訪ねた一週間後の四月末。美穂さんは病状が悪化し、岡山大病院に緊急入院した。意識不明になり、人工心肺装置を取り付けた。家族は最悪の事態を覚悟したが、何とか乗り切った。

 「一日が過ぎたね。今日と同じように、明日も乗り越えられますよう」

 夕暮れの病室。ブラインドを降ろしながら享子さんが、美穂さんに語りかける。

 闘いが続く。

   ◇

 足踏みを続けるわが国の脳死移植。臓器移植法施行から十年で見えてきたさまざまな現実や課題を追う。

 バックナンバー
第5部 足踏み
1 闘い ドナー少数 法に一因 (2007/6/12)
2 戸惑い 救命と脳死 どう対応 (2007/6/13)
3 見えない死 「答え」出すのは家族 (2007/6/14)
4 ダブルスタンダード 矛盾生み現場に混乱 (2007/6/15)
5 約束 カードに刻む妻の思い (2007/6/16)
6 グリーフケア ドナー家族に癒やし (2007/6/18)
7 二つの改正案 節目の年 行方見えず (2007/6/19)
8 15歳の壁 難しい脳死判定課題 (2007/6/20)
9 脳死論議再び 国を二分、見えぬ出口 (2007/6/21)
10 枠組み 専門機関の新設必要 (2007/6/22)
11 アジアの苦悩 進まぬ脳死への理解 (2007/6/24)
12 夢 免疫寛容の謎解明へ (2007/6/25)
13 宝物 問われる命のリレー (2007/6/26)

第4部 生体の光と影
1 プレゼント 元気くれた母の肝臓 (2007/5/25)
2 宿命 リスクと向き合う選択 (2007/5/27)
3 2人の肺 葛藤から感謝へ変化 (2007/5/28)
4 リスク ドナー死亡、再入院も (2007/5/30)
5 重圧 家族に暗黙の強制力 (2007/6/1)
6 ドナーの保護 法による規制不可欠 (2007/6/2)
7 ケアの要 患者、ドナーに安心を (2007/6/3)
8 現実 緊急避難 今や“主流” (2007/6/4)

第3部 アメリカからの報告
1 みらいちゃん 日本で打つ手なく渡航 (2007/4/17)
2 ジグソーパズル 多臓器 (2007/4/18)
3 ゴッド・ハンド 40年間 世界をリード (2007/4/21)
4 UNOSの今 臓器不足に対応苦慮 (2007/4/22)
5 腎疾患戦略 糖尿病の発症減らせ (2007/4/24)
6 “B級臓器” エイズ陽性でも活用 (2007/4/26)
7 ドナー交換 「生体」際限なく拡大 (2007/4/27)
8 ギフト・オブ・ライフ 脳死患者の情報機関 (2007/4/29)
9 報酬制度 臓器売買懸念の声も (2007/4/30)
10 誇り 生き続ける娘の遺志 (2007/5/1)
11 5%ルール 臓器不足に外国人枠 (2007/5/2)
12 ジレンマ 患者は増え続けるが… (2007/5/3)

緊急寄稿 病気腎をめぐって
1 日本移植学会理事 清水信義 提供者保護が不十分 (2007/4/3)
2 泌尿器科医 万波廉介 患者に希望与え得る (2007/4/4)
3 岡山大大学院教授 粟屋剛 問われる「真の倫理」 (2007/4/3)
4 岡山大名誉教授 折田薫三 自ら「第三の道」断つ (2007/4/6)

第2部 命をつなぐ
1 シャント 「いつだめになるか」 (2007/3/10)
2 人工腎臓 70年代 苦難の幕開け (2007/3/11)
3 不安 心通わせるケア必要 (2007/3/13)
4 高齢化 福祉との谷間であえぐ (2007/3/14)
5 腎疾患戦略 糖尿病の発症減らせ (2007/3/15)
6 贈り物 新たな“命”も授かる (2007/3/16)
7 ローカルネット ドナー求め病院巡り (2007/3/19)
8 実らぬ善意 脳死と混同、誤解も (2007/3/20)
9 ドナー発掘 献腎の実績に地域差 (2007/3/22)
10 選択肢 臓器提供の道伝える (2007/3/25)
11 うそ 新たな命に思い複雑 (2007/3/26)

第1部 病気腎の波紋
1 延長線 困っとる患者のために (2007/2/2)
2 原点 どうせ捨てる臓器なら (2007/2/3)
3 迷い 公表「がん」がネック (2007/2/4)
4 独自ルート 「宝くじ」の確率なら (2007/2/5)
5 ばらずし 海渡る感謝の気持ち (2007/2/6)
6 学会 歴史の中で原則築く (2007/2/8)
7 一人の世界 「怖いことやっている」 (2007/2/9)
8 ドナーの意思 かぎ握る自発的同意 (2007/2/11)
9 出合い頭 公平の原則どう保つ (2007/2/12)
10 臓器売買 「起こるべくして…」 (2007/2/15)
11 うねり 患者の立場から関心を (2007/2/17)
12 パイオニア 情報公開徹底が第一歩 (2007/2/18)

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