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| 生体肺移植ではドナー2人の肺が必要になる。患者は手術前からその重みと向き合う=岡山大病院の手術室 |
第4部 生体の光と影 3 2人の肺 葛藤から感謝へ変化
肉親の申し出に、素直に「ありがとう」とは言えなかった。
松本典子さん(57)=仮名、倉敷市。二〇〇一年三月、突然意識を失って倒れ、生死の境をさまよった。気管支拡張症。医師から「長くて半年の命。助かるには移植しかない」と告げられた。
脳死肺移植の登録はしたが、ドナー(臓器提供者)はいつ発生するか分からない。二つ年上の姉と長女が「私の肺を使って」と言ってくれた。だが、しばらくは断り続けた。
「二人を傷つけるのが申し訳ないという罪悪感があった。もうこのまま死んでもいいと思った」
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「健康な二人の体にメスを入れる生体肺移植は犠牲が大きすぎる。だから患者の病状が切迫しない限り、脳死からの提供を待つ。(生体肺が)第一の選択肢には絶対にならない」
岡山大病院の移植チームを率いる伊達洋至教授(腫瘍・胸部外科)が強調する。一九九八年十月の国内第一例以来、全国(六十三例)の約七割、四十七例の生体肺移植を手掛けてきた。
肺は肝臓と違い再生しない。ドナーの負担を考え、一人当たりの摘出は20%。二人分ないと、レシピエント(移植患者)の肺活量をまかなえない。しかもドナーの肺機能は生涯にわたり、15―20%低下する。
「だから患者さんはすごく悩む。あえて移植をやめる人もいる」
もともと、肺の大きさや血液型、年齢などの条件を満たすドナーが二人そろうケースはそう多くない。
「移植の相談は年に百件前後あるが、実際に行うのは十例あるかどうか」と伊達教授は言う。
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松本さんは約二十年前に発症した。気管支にうみがたまり、しだいに呼吸ができなくなった。一九九八年からは在宅酸素療法の生活に入った。小さな冷蔵庫ほどの大きさの機械を通して、鼻から酸素を送るチューブが命綱だ。
それでも傷んだ肺は酸素を十分に取り込めない。かがんで物を拾うのも苦しかった。
「まるで水中にいるよう。息ってどうやってしてたのか、そればかり考えていた」
毎朝の食事の準備だけは、三人の子どものために頑張った。いつも、しんどそうな母親を見かねてか、家の中はいつもぴりぴりしていた。
肺をもらう決断を促したのは子どもの存在だった。「私が移植せずに死ねば、『お母さんを死なせた』と子どもたちを傷つけることになる」と思ったからだ。
二〇〇一年八月、姉の左肺と、長女の右肺の一部が、松本さんの胸に納まった。
手術直前のインフォームドコンセント(十分な説明と同意)。二十歳になったばかりの長女は大勢の医師の前で、「これでお母さんが楽になれる」と声を上げて泣いた。
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今、松本さんは元気な時に大好きだった園芸も楽しめる。「二人の肺が私の中で頑張ってくれている」。姉と娘への思いは、葛藤から感謝へと変わった。
免疫抑制剤を飲み続ける毎日が続いている。将来に不安もある。長女の背中から脇腹にかけての傷跡を見ると、心が痛む。
「でも、とにかく体を大事にして元気でいようと。それが何よりの恩返しになるから」 |