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| 移植医療を確立させたスターツル教授。多くの移植医があこがれ渡米した |
第3部 アメリカからの報告 3 ゴッド・ハンド 40年間 世界をリード
米東部ペンシルベニア州ピッツバーグ。“世界を変えた男”のオフィスは、ピッツバーグ大キャンパスのほぼ中央。大通りに面した雑貨店の三階にあった。
部屋には移植関係の本と最新の学会誌が並ぶ。約束の時間を少し過ぎ、長身の男が姿を見せた。
トーマス・スターツル教授(81)。四十年余り前、世界で初めて肝臓移植の扉を開けた。ピッツバーグ大に移った一九八〇年代からの手術だけで約一万二千例に達する。
「やあ、歯医者が長引いてね。申し訳ない」。すでに伝説となった「ゴッド・ハンド(神の手)」が目の前に差し出された。その手の深いしわに刻まれているのは、世界の移植の歴史そのものだ。
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「自分の想像以上に成功した医療だと思うね」
愛用のいすに座ったスターツル教授は、移植医療の現状について静かに振り返った。
自身がコロラド大で世界初の脳死肝移植を執刀したのは一九六三年。その四年後には南アフリカで初めて心臓移植が行われた。移植医療の歴史がこうして幕を開ける。
ただ、道のりは険しいものだった。スターツル教授の第一例の患者は手術中に死亡した。六七年になって初めて、移植患者の生存が一年を超えた。そんな実験的医療が日常的な医療になるのは、画期的な免疫抑制剤サイクロスポリンや、臓器を保存する「UW液」などが開発された八〇年代に入ってからだ。
二〇〇五年、米国で行われた移植(全臓器)は約二万八千例。二十年前(約九千二百例)の約三倍に達する。移植先進国・アメリカ。そのけん引役は常にピッツバーグ大であり、中心にスターツル教授がい続けた。
八五年にスターツル教授の下で肝移植を学んだ国立病院機構岡山医療センター(岡山市田益)の青山興司院長が言う。
「彼が率いるピッツバーグ大は、外科医にとってあこがれの地だった」
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人口約三十四万人。ピッツバーグの街のシンボルがピッツバーグ大だ。大学と病院施設で約四万三千人が働く。
その中心部に、スターツル教授の名を冠した十六階建てのビルがあり、心臓部に当たるスターツル移植研究所には、渡米して移植を研究する外国人が所属する。日本、中国、エジプト…。岡山大医学部出身者だけで、ここには四人いる。
「基礎研究や新たな手法の確立を目指して、世界中の研究者が競い合っている」と、その一人の中尾篤典医師(39)。岡山大大学院消化器・腫瘍(しゅよう)外科学出身。臓器をより新鮮な状態に保つ保存液の開発を目指している。
昨年一年間に、世界最多(百一例)の肺移植を手掛けたマッカリー医師や、動物の臓器を移植する異種移植研究の権威、デビット・クーパー教授もここに所属する。
肝移植部門トップのフォンテス医師は、恩師の功績をこう話す。
「スターツル教授は多くの人材を育ててきた。世界で活躍する移植医の七割はピッツバーグ大で学んでいます」
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スターツル教授の顔が曇ったのは、米国でも深刻な臓器不足に話が及んだときだった。「移植数は増えた。でも問題は、需要に供給が追いついていないことだ」
教授は、さらに遠くを見る目で言った。
「異種移植や、どんな細胞にも成長できるES細胞を使った再生医療。それに副作用のある免疫抑制剤を使わない方法の研究は重要。実現まで時間はかかるが、進めなければいけないんだ」 |