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| 多臓器移植を手掛けた子どもたちの笑顔の写真の横に立つ加藤医師=マイアミ大ジャクソン記念病院 |
第3部 アメリカからの報告 2 ジグソーパズル 多臓器 早く正確に
小児病棟の回診は、毎日午前八時半に始まる。
「ハロー!」。チェックのカジュアルシャツに綿パン。移植外科准教授の加藤友朗医師(43)が姿を見せた。白衣は着ない。聴診器も持っていない。子どもたちを不安にしないためだ。米フロリダ州・マイアミ大ジャクソン記念病院の一日がいつものように動き出す。
回診チームは六人。医師のほかに看護師、薬剤師、栄養士が加わる。「ガーゼを交換したほうがいい」「食事は十分取れている?」。チーム医療では、それぞれが対等な専門家として自由に意見が交わされる。
アメリカ、日本、イスラエル…。病棟の子どもたちの国籍は多彩だ。加藤医師の手で多臓器移植を受けるため、世界各地からここに来た。
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主に小児を対象に行う多臓器移植の難しさは、ジグソーパズルにも例えられる。
肝臓、小腸、大腸、胃、膵(すい)臓…。先天性異常などで機能しない複数の臓器を摘出し、脳死の子どものドナー(臓器提供者)からの臓器を同時に移植する。
体内に臓器を植えていく順番をどうするか。止めていた血流を再開するタイミングはどうか―。時には患者の“サイズ”に合うように臓器をカットしてはめこむ必要にも迫られる。
子どもの臓器や血管は小さい。十時間を超える手術の中で、手際良く、正確に、難解な「パズル」を完成させるためには、高度な技術と細心の注意、そして経験が求められる。複数の臓器で起きる拒絶反応を抑えるための術後管理も重要だ。
「多臓器不全という極めて深刻な状態が、劇的に良くなる。子どもが元気で成長していく姿を見るのは感慨深い」と加藤医師は言う。
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多臓器移植は一九九〇年ごろ、ここ米国で始まった。マイアミ大は九四年から積極的に取り組み、今では世界の全実施例の約五割(約百例)を占めている。加藤医師は二〇〇三年から本格的にスタッフに加わった。
「一般的な医療となった肝臓や心臓移植に比べ、多臓器移植は米国でもまだまだ歴史の浅い、センセーショナルな移植医療です」と加藤医師。
当初、多臓器移植の一年生存率は五割。現在は五割が五年生存するまで向上した。それでも、術後管理は試行錯誤の連続だ。
苦い体験がある。
〇六年五月。肝臓、小腸、大腸など五臓器の同時移植を受けた神達彩花ちゃん=茨城県常総市、当時(1つ)=が感染による敗血症で亡くなった。手術から半年。それまで経過は順調だったが、急変した。
「予測しないことがまだ起こる。対処できなかった自分が悔しい。いつかこの手で、多臓器移植を確立させたい」
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なぜ、米国にいるのか―という問いに、加藤医師は短く答える。「自分の腕を試したかったから」
東京大薬学部を卒業後、大阪大医学部に学士入学した経歴を持つ。一九九五年に研修医としてマイアミ大へ赴任、肝移植の腕を磨いたことが、その後の人生を決めた。
移植先進国・アメリカの魅力。それは最先端を走り続ける技術、充実した移植システム、豊富な人材だという。
「日本で日本人を助けたい気持ちはすごくありますよ。でも、僕がやろうとしていることは日本ではできない」
窓からフロリダの青空が広がるオフィス。壁のボードには、退院後に届いた子どもたちの写真がはってあった。 |