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| メアリーさん(左)とトレイさん。それぞれの経験を生かし、臓器提供への理解を呼び掛ける=ウィスコンシン大医療センターOPO |
第3部 アメリカからの報告 10 誇り 生き続ける娘の遺志
二〇〇〇年五月。米ウィスコンシン州で一人の女子高校生の名前がついた法律が施行された。
「ケリー・ナクレイナー法」。高校生が運転免許を取得する際、臓器移植について理解を深める授業を行うことを義務づけている。今では国内十二州で採用され、共通の教科書も作られた。
十六歳だったケリー・ナクレイナーさんは二〇〇〇年一月、自動車事故に遭い、生前の意思で腎臓、肝臓、膵臓(すいぞう)を提供した。母親のメアリーさんが州政府から相談を受け、提案した法律だ。
「ケリーはこの世に素晴らしいものを残した。母親としての誇りよ」。そう話すメアリーさんに出会ったのは、ウィスコンシン大医療センターに併設された地域臓器調達機関(OPO)だった。
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「娘の死は悲しい。でも、ギフト・オブ・ライフ(命の贈り物)がどんなに素晴らしいことか。同じ境遇になった家族に、ぜひ選択してもらいたいの」
メアリーさんは今、OPOの「ドナー(臓器提供者)ファミリーサービス部門」で働いている。病院の看護師や医師にドナー家族としての思いを話し、学校・地域で講演する。
オフィスには、リビングでくつろぐケリーさんの写真が飾ってあった。時折、視線を遠くにやり、最愛の娘を亡くした当時の気持ちをたぐる。
「暗闇の中にほんの少しの光が差し込んでいる。臓器提供に同意したときはそんな感じだった」
気持ちがはっきりしたのは、娘の臓器で元気になった患者の写真を目にしてからだという。
「死んだことばかりを考えず、生きている(患者の)ことを考えようと。初めてケリーの行ったギフトが実感でき、安心感が広がっていった」
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同じ職場で働く同僚男性、トレイ・シュワブさんは元レシピエント(移植患者)だ。
〇四年、十九歳の青年の両肺を移植した。大学バスケットボールチームでコーチを務めるスポーツマンだったが、遺伝的な病気が発症。移植しか助かる道がなくなった。「大学には戻らなかった。ここでドナーを増やす仕事をしたかったから」
二人のように、移植の“経験者”がそろってOPOのスタッフになるケースは全米でも珍しい。
生と死が交錯する移植医療の現場で、ドナー家族やレシピエントの気持ちは激しく揺れ動く。寄り添うコーディネーターや医療スタッフには、何より経験が求められる。
「だからこそ」とトレイさん。「僕たちの話は、どんな医師や研究者よりも分かりやすい。僕は自分の姿を見せてこう言うんだ。これが移植医療の素晴らしさだって」
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米国では年間約八千人が脳死ドナーになる。だが、家族の誰もが納得してその死と臓器提供を受け入れられるわけではない。
ウィスコンシン大のOPOは、ドナー家族とレシピエント本人同士が交流する機会を設けている。亡くなった最愛の人の臓器が、今も“生きている”ことを実感してもらうためだ。
米国各州の政府などはドナー家族に感謝状やメダルを贈っている。UNOS(全米臓器配分ネットワーク)の正面入り口には、ドナーの名前を刻んだ「ドナーメモリアル」という壁がある。
「ドナーやその家族が、移植後に(患者や社会から)忘れ去られてしまうのはとても悲しい」とメアリーさんは言う。
「ケリーという存在は生きていく。ずっと世の中に」 |