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| 父努さん(右)が見守る中、加藤医師から診察を受けるみらいちゃん。多臓器移植の経過は順調だ |
第3部 アメリカからの報告 1 みらいちゃん 日本で打つ手なく渡航
季節がまるで「夏」だと気付かされたのは空港を一歩出たときだった。額から汗が噴き出す。
米南部のフロリダ州マイアミ。二月二十八日。気温三〇度。この時期には、全米各地やヨーロッパから避寒客が押し寄せる。ビーチ周辺は半袖短パン姿の男女であふれていた。
ビーチの喧噪(けんそう)から車で約十分の距離にあるマイアミ大ジャクソン記念病院を訪ねたのは、一人の子どもと家族、そして主治医に会うためだった。
山下みらいちゃん(1つ)は、この日、外来で加藤友朗准教授(43)=同大移植外科=の診察を受けていた。
「座る訓練をしてみようか」。ベッドの上で小さな体を懸命に動かすみらいちゃん。鼻には薬や栄養を補給するための管が入れられている。
二〇〇六年十二月上旬、みらいちゃんは加藤医師の手で胃、小腸、大腸、肝臓、膵(すい)臓を同時に移植する多臓器移植を受けた。体に残る傷跡はまだ生々しい。
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海外で臓器移植を受ける子どもが、依然として後を絶たない。
厚生労働省によると、臓器移植法施行(一九九七年)から二〇〇五年までに、海外で移植した日本人は心臓だけで六十五人。うち四十二人が十八歳未満の小児。国内の法の制約や臓器不足から、移植が盛んな米国を頼る状況が続いている。
みらいちゃんは〇六年三月六日、父努さん(42)と母メリーザさん(26)の長女として愛知県春日井市で生まれた。異常は生後二日目から現れた。母乳を飲んでも便が出ないのだ。
診断は「全結腸型ヒルシュスプルング病」。腸管壁内の神経細胞が欠如し、腸がほとんど働かない。口にした物が消化できない難病だった。
「このままでは、移植しか方法はありません」と医師。しかし、それは国内では打つ手なしとの宣告に等しかった。臓器移植法は、ドナー(臓器提供者)を十五歳以上と定めている。生きるためには、海外で小児のドナーを待つしかなかった。
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「できることなら、日本で手術をしたかった」。ジャクソン記念病院の廊下で努さんが話す。
渡航移植の最大のハードルは、過酷なまでの経済負担だ。渡航費、滞在費、手術費などを含め一億円以上はかかる。努さんは友人の協力や募金で約一億四千万円を集めた。だが、温かい善意の一方で、冷たい視線にもさらされた。
「金は何の事業に使うのか」「死ぬ死ぬ詐欺」―。インターネットの掲示板には、そんな書き込みも相次いだという。
加藤医師の存在を知った努さんはメールで連絡を取り、みらいちゃんの体重が移植が可能な四キロを超えるのを待って渡米した。昨年十月のことだった。
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「生まれた国が違うだけで、不公平なことが起きている。米国と違って日本の子どもは大金を集めないと移植できない。複雑な気持ちですよ」。加藤医師はためいきをつく。
多臓器移植の歴史はまだ新しい。実施例は世界でこれまでに二百例足らず。うち約百例がジャクソン記念病院で行われ、加藤医師はその大半にかかわってきた。
努さん一家がマイアミ郊外に借りたアパート。年明けに退院したみらいちゃんは、生まれて初めて親子一緒の生活を送っている。ゆっくりだが食事もでき、笑顔を見せるようになった。夏ごろには帰国できそうという。
病気にうち勝ち、明るい未来が開けますように―。名前には、両親の願いが込められている。
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世界をリードする移植先進国・アメリカ。しかし、この国でも臓器不足は深刻だ。第3部は米国の医療現場や研究機関を訪ね、現状と新たな課題をルポする。 |