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揺れる移植医療
二女の里菜さんに優しいまなざしを向ける藤井さん。命の贈り物をくれたドナーへの感謝が常に心の中にある
二女の里菜さんに優しいまなざしを向ける藤井さん。命の贈り物をくれたドナーへの感謝が常に心の中にある
第2部 命をつなぐ 6 贈り物 新たな“命”も授かる

 「ドナー(臓器提供者)が現れました」

 一九九一年一月二十八日。午前八時を少し回っていた。血液透析が八年目に入っていた井原市の藤井明子さん(46)。自宅で電話を取った夫の吉秋さん(52)の耳に、医師の声が飛び込んできた。

 移植希望の登録をしてわずか九カ月。電話の後、動転して何から準備に手をつけたのか覚えていない。

 手術室に向かうベッドの上で一つだけ思った。「ああ、これで思いっきりペットボトルの水をラッパ飲みできる」

 人生が変わる。つらく苦しい透析生活が続く患者にとって、移植はそんな瞬間でもある。

   □   ■

 透析のきっかけは、二十二歳のときに体験した「死産」だった。

 初めての出産を約一カ月後に控えた八三年一月。激しい腹痛で目が覚め、産科へ駆け込んだ。

 記憶にあるのはそこまで。翌朝、気付いたときには、岡山大病院のICU(集中治療室)にいた。胎盤早期はく離で大量出血し、意識を失ったまま出産したという。急性腎不全になり、透析装置につながれていた。

 一週間後、赤ちゃんは死んだと聞かされた。女の子だった。悲しすぎて、涙も出なかった。

 「それからは、透析のために生きているような無力感でいっぱいでした。このまま機械に生かされていくのかと…」

 突然現れたドナーは、交通事故死した十八歳の男性。父親も透析を受けていたが息子とHLA(白血球の型)が合わず、最も適合した自分が選ばれたと知った。

   ■   □

 腎移植は決して夢の「根治療法」ではない。死後の献腎の場合、五年生着率は約60%。拒絶反応を抑える免疫抑制剤の服用も欠かせない。

 それでも、透析に伴う時間的な制約や食事・水分制限、心疾患などの合併症の恐怖から解放される。社会復帰も可能だ。QOL(生活の質)は大きく向上する。患者らでつくる日本移植者協議会の調査(二〇〇二年)では、腎移植を受けた人の97%が「移植をして良かった」と回答している。

 藤井さんの場合、さらに新たな「命」の贈り物も授かった。

 移植した年の十月。岡山県腎臓バンクの講演会で移植後に出産した女性の体験を聞いた。心臓が「ばくばく」鳴った。

 一度はあきらめていた願いだった。主治医に相談すると「薬(免疫抑制剤)が体になじむまで、三、四年待ってくれないかな」と言われた。

 九四年十月、長女美和さん(12)を出産。九八年二月には二女里菜さん(9つ)が生まれた。透析中には、考えてもいなかった新しい人生が訪れた。

   □   ■

 藤井さんは、自分とドナー家族の運命を重ね合わせる。

 「私は死産した子どもの顔を見ることができず、つらい思いをした。十八年間も育てたわが子に先立たれた親の気持ちはどんなにつらいか」

 九八年から毎年一回、岡山県立大看護学科の生命倫理講座で移植の体験を語っている。かけがえのない“贈り物”をくれたドナーへの恩返しになると信じているからだ。

 学生にはこう語りかけている。

 「当初は『自分だけが元気になっていいのか』という悩みもありました。でも、ドナーの家族は私たちにそうなってほしいと願い、腎臓を提供してくださった。今は心の底から『自分が元気で幸せにならなくては』と思えるようになりました」

 バックナンバー
第5部 足踏み
1 闘い ドナー少数 法に一因 (2007/6/12)
2 戸惑い 救命と脳死 どう対応 (2007/6/13)
3 見えない死 「答え」出すのは家族 (2007/6/14)
4 ダブルスタンダード 矛盾生み現場に混乱 (2007/6/15)
5 約束 カードに刻む妻の思い (2007/6/16)
6 グリーフケア ドナー家族に癒やし (2007/6/18)
7 二つの改正案 節目の年 行方見えず (2007/6/19)
8 15歳の壁 難しい脳死判定課題 (2007/6/20)
9 脳死論議再び 国を二分、見えぬ出口 (2007/6/21)
10 枠組み 専門機関の新設必要 (2007/6/22)
11 アジアの苦悩 進まぬ脳死への理解 (2007/6/24)
12 夢 免疫寛容の謎解明へ (2007/6/25)
13 宝物 問われる命のリレー (2007/6/26)

第4部 生体の光と影
1 プレゼント 元気くれた母の肝臓 (2007/5/25)
2 宿命 リスクと向き合う選択 (2007/5/27)
3 2人の肺 葛藤から感謝へ変化 (2007/5/28)
4 リスク ドナー死亡、再入院も (2007/5/30)
5 重圧 家族に暗黙の強制力 (2007/6/1)
6 ドナーの保護 法による規制不可欠 (2007/6/2)
7 ケアの要 患者、ドナーに安心を (2007/6/3)
8 現実 緊急避難 今や“主流” (2007/6/4)

第3部 アメリカからの報告
1 みらいちゃん 日本で打つ手なく渡航 (2007/4/17)
2 ジグソーパズル 多臓器 (2007/4/18)
3 ゴッド・ハンド 40年間 世界をリード (2007/4/21)
4 UNOSの今 臓器不足に対応苦慮 (2007/4/22)
5 腎疾患戦略 糖尿病の発症減らせ (2007/4/24)
6 “B級臓器” エイズ陽性でも活用 (2007/4/26)
7 ドナー交換 「生体」際限なく拡大 (2007/4/27)
8 ギフト・オブ・ライフ 脳死患者の情報機関 (2007/4/29)
9 報酬制度 臓器売買懸念の声も (2007/4/30)
10 誇り 生き続ける娘の遺志 (2007/5/1)
11 5%ルール 臓器不足に外国人枠 (2007/5/2)
12 ジレンマ 患者は増え続けるが… (2007/5/3)

緊急寄稿 病気腎をめぐって
1 日本移植学会理事 清水信義 提供者保護が不十分 (2007/4/3)
2 泌尿器科医 万波廉介 患者に希望与え得る (2007/4/4)
3 岡山大大学院教授 粟屋剛 問われる「真の倫理」 (2007/4/3)
4 岡山大名誉教授 折田薫三 自ら「第三の道」断つ (2007/4/6)

第2部 命をつなぐ
1 シャント 「いつだめになるか」 (2007/3/10)
2 人工腎臓 70年代 苦難の幕開け (2007/3/11)
3 不安 心通わせるケア必要 (2007/3/13)
4 高齢化 福祉との谷間であえぐ (2007/3/14)
5 腎疾患戦略 糖尿病の発症減らせ (2007/3/15)
6 贈り物 新たな“命”も授かる (2007/3/16)
7 ローカルネット ドナー求め病院巡り (2007/3/19)
8 実らぬ善意 脳死と混同、誤解も (2007/3/20)
9 ドナー発掘 献腎の実績に地域差 (2007/3/22)
10 選択肢 臓器提供の道伝える (2007/3/25)
11 うそ 新たな命に思い複雑 (2007/3/26)

第1部 病気腎の波紋
1 延長線 困っとる患者のために (2007/2/2)
2 原点 どうせ捨てる臓器なら (2007/2/3)
3 迷い 公表「がん」がネック (2007/2/4)
4 独自ルート 「宝くじ」の確率なら (2007/2/5)
5 ばらずし 海渡る感謝の気持ち (2007/2/6)
6 学会 歴史の中で原則築く (2007/2/8)
7 一人の世界 「怖いことやっている」 (2007/2/9)
8 ドナーの意思 かぎ握る自発的同意 (2007/2/11)
9 出合い頭 公平の原則どう保つ (2007/2/12)
10 臓器売買 「起こるべくして…」 (2007/2/15)
11 うねり 患者の立場から関心を (2007/2/17)
12 パイオニア 情報公開徹底が第一歩 (2007/2/18)

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