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| 一度に何十人も治療を受ける透析施設。患者一人一人のケアが求められている=岡山市内 |
第2部 命をつなぐ 3 不安 心通わせるケア必要
病室は雑居ビル最上階の五階にあった。窓からは市内屈指の高層ビルが見えた。「ここから飛び降りようか。それともあのビルにしようか…」
腎移植を受け、今は元気に暮らす岡山市の大黒美智子さん(59)=仮名=が、市街地の透析施設に入退院を繰り返していた十数年前を思い出す。
透析治療は腎不全の根治を意味しない。血液を体外に送り出す「シャント」のトラブルもある。体質的に血液透析が合わない患者もいる。
ある日、主治医に悩みを打ち明けた。「つらかったんだね」と言ってくれた。「僕も一緒に飛び降りようか」と。
共感してくれたことだけでうれしかった。「胸のつかえがとれた」と大黒さんはいう。
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「透析は、無期懲役みたいなものともいえる。だから患者は大なり小なり、うつになる。拘禁反応を起こし、ひどい人は死への誘惑にかられる」
松江市で、精神科診療所を開業する春木繁一医師(66)は指摘する。
自身、二十四歳で腎炎を患い、三十二歳で透析を始めた。「患者」であると同時に、国内最多の腎移植を手掛ける東京女子医大で約三十五年間、透析患者と移植患者のカウンセリングを続けてきた。
きっかけは一九七二年夏。最初にシャント手術を受けた太田和夫同医大教授(現名誉教授)からこう言われた。
「患者さんの精神不安について研究してくれませんか」
当時、透析患者の精神的ケアに積極的にかかわる医師やスタッフはほとんどいなかった。ようやく日本でもその必要性が言われ出したのは、八〇年代に入ってからだ。
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東京女子医大の非常勤講師になった春木さんは、勤務を終えた夜になると病棟を回り、患者に接した。松江市に戻った八〇年以後も、依頼があれば上京する。
「外国の文献では、透析患者の七割がうつを経験するとのデータもある」と春木さんは言う。
機械で生かされているというみじめさ。周りがつらさを理解してくれないもどかしさ。時に自暴自棄にもなる患者の悩みに向き合うのが自分の役目だと思っている。
透析装置の性能が向上した今、別の懸念があるという。
医師が昔ほど患者に付きっきりでなくても済むようになったからだ。「機器の進歩が、患者と医師とが心を通わせる機会を奪っているとしたら…。それが心配なんです」
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「嘱託社員になってくれないか」
岡山市の団体職員山田裕子さん(43)=仮名=はかつて会社の上司にそう言われ、やむなく正社員からの“降格”を受け入れた。
十三年勤めた会社だった。腎不全の透析治療のため週三回、午後五時に退社するようになると、自分への態度はしだいに冷たくなった。給料は四割減った。重要な会議は自分が退社した後に設定された。しだいに会社に居づらくなり、辞めた。
退社後、ある事務職の就職面接で、透析患者と分かると露骨に嫌な顔をされたこともある。
「そんな経験が引き金になり、ひきこもる人もいる」と山田さん。
多くの透析患者が、出口のない不安と闘っている。 |