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| 医師の目が臓器に注がれる。その先には患者、提供者とそれぞれの家族の思いが交錯する=岡山市内の病院 |
第2部 命をつなぐ 11 うそ 新たな命に思い複雑
「自分だけが幸せになっていいはずがありません」と、小林純子さん(59)=岡山市、仮名=は言った。
透析生活を経て昨年五月末、夫から生体腎移植を受けた。元気な体を取り戻した喜びの一方で、患者仲間に申し訳ない気持ちが消えないのだ。
血液透析のベッドに横たわるたび、激しい頭痛と吐き気に見舞われていた。そんなとき、いつも隣のベッドで透析を受ける六十代の女性が「一緒に頑張りましょう」と励ましてくれた。
夫の強い勧めで決断した臓器移植。最後となった透析の日、隣の彼女には本当のことが言えなかった。「病院を変わる」と、うそをついた。
彼女は、糖尿病性腎症が原因で不自由になった両目に涙をため、「また会おうね」とベッドから両手を差し出した。その手の温かさが、今でもときどきよみがえるのだという。
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連載第2部は、病気腎移植の背後にある腎疾患患者の苦しみと、日本の臓器不足の現状の一端をみてきた。
移植患者の中には、授かった「命」に感謝し、新たな人生を力強く踏み出す人が多い。しかし、小林さんのように複雑な思いを抱き続ける患者も少なくない。
死後の腎臓を提供する「献腎」の数は伸びず、腎移植の八割以上は、家族が自らの体を切り開いて行う生体移植で占められている。結局は、ひと握りの人しか移植の恩恵を受けられないという現実があるからだ。
しかも、その現実は厳しさを増している。
国内の透析患者は毎年一万人のペースで増え続ける。平均年齢は六三・九歳(二〇〇五年)。十年間で十三歳も上がった。高齢化が患者数を押し上げ、医療費削減に伴う自己負担の重さが患者を直撃している。
さらに、腎疾患から透析に移行するリスクを持つ糖尿病は増え続け、予備軍も含めると千六百万人に達するとされる。
こうした状況の中で、少ないドナー(臓器提供者)をどう増やすかは深刻な課題だ。移植ネットワークや啓発のありかたも、あらためて問われている。
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連載中、腎疾患と闘う患者、家族の方からも多くの意見をいただいた。
岡山県北に住む古野靖さん(40)=仮名。昨年秋、妻(35)が長女(6つ)に腎臓を移植した。だが、不安は消えないと訴える。
「この先、何回移植が必要になるのか。その時、提供してくれる腎臓があるのか」
古野さんは、病気腎移植問題が、世間の目を移植医療に向けるきっかけになったことを歓迎するという。
「国や学会の先生たちは、医学的な妥当性を判断しただけで満足せず、問題の背景にあるドナー不足をどうするかを真剣に議論してほしい」
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県南部の男性(69)からは憤りの手紙が届いた。親族間での献腎が認められなかったからだ。
急性くも膜下出血で死亡した親類の腎臓の一つを、透析中の長男(45)に提供することを親族一同で決めたが、かなわなかった。公平性を原則とする現行の臓器移植法では死体腎の提供先を指定することはできない。
「提供側も移植を受ける側も身内なのに。血の通った法律に改められないのだろうか」と男性は問いかける。
多くの患者の、声にならないうめきの中で、移植医療が揺れている。
(臓器移植取材班) |