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| 腎移植して透析から解放された日々をつづった窪田さんの日記。毎年、宇和島に感謝のばらずしを届ける=岡山市 |
第1部 病気腎の波紋 5 ばらずし 海渡る感謝の気持ち
タケノコ、ワラビ、フキ、サワラ…。窪田智恵子さん(59)=岡山市郡=は、毎年四月になると山と海の幸を盛ったばらずしを作る。
ばらずしは瀬戸内海を渡り、宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠医師(66)=備前市吉永町出身=に届けられる。苦しみから救われた感謝の定期便だ。
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「透析患者はみんな悲しくても、つらくても、顔で笑って心で泣いているんです。移植できない人には病気腎でも認めてあげてほしい」
二〇〇六年十一月。取材班に一通の封書が届いた。差出人は窪田さんだった。十三年間の透析生活をへて、四年前、万波医師が当時勤務していた市立宇和島病院(愛媛県)で生体腎移植を受けた。
透析に絶望して自殺を考えたことがある。透析仲間には仕事を辞めたり、離婚したりする人もいる。便せんには患者の苦悩がつづられていた。
日差しが明るい自宅のリビングで、窪田さんが振り返る。
一九九〇年、妊娠中毒後遺症によるタンパク尿が元で腎機能が低下。紹介された病院で「人工透析が必要」と告げられた。通院は週三回。一日四時間はベッドに横たわる。長期間続けると、血管がもろくなり、心不全や動脈硬化などの合併症の可能性も高い。窪田さんは時折、脚がけいれんし、歩けないほどかかとが痛んだ。
「苦しい。つらい。愚痴は家族にもつらい思いをさせるだけだから、とても言えなかった」
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岡山弁の田舎のおっさん―。万波医師に初めて会った時の印象だ。
血液透析では腕などの血管に、手術で血液の送出口(シャント)をつくる。ここから血液を体外に出し、機械を通して濾過(ろか)する。シャントは数年ごとにつくり直したが、窪田さんは四度目の手術で血栓ができ、もう腕に新しいシャントをつくるのが難しくなった。
「もう、移植を考えよう」。主治医は、知り合いの万波医師の元での移植を勧めた。ドナー(臓器提供者)には弟が名乗り出た。以前から「僕の腎臓あげてもいいよ」と言ってくれていた。
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日本臓器移植ネットワークによると、〇五年の腎移植は九百九十四件。死体腎の提供は増えず、約八割の八百三十四件は生体間で行われている。
「経験があるからでしょうか。若手の先生だと不安に思うけれど、万波先生の顔をみると安心できたんです」
窪田さんにとって、万波医師は信頼できる医者だった。手術前には「元気にして帰らせるからな。心配せんように」と励ましてくれた。手術後、血圧が急激に下がって容体が一時悪化した時は、ずっと付き添ってくれていた。
問題になった病気腎移植。窪田さんには、複雑な気持ちもある。
「摘出された人は『治して使えるものなら残してほしい』と思うでしょう。それを考えたら、先生のやったことがすべて良かったのかどうか…」
「でも」と窪田さんは言葉を継ぐ。「腎臓をいただいた患者は本当にうれしかったはずです」
ふるさとの季節の味が、岡山生まれの医師と患者をつないでいる。 |