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| 生体腎移植は臓器移植法施行(1997年)以前から広く行われてきた。いま、病気腎移植がそのあり方に大きな波紋を投げかけている=国立病院機構岡山医療センター |
第1部 病気腎の波紋 12 パイオニア 情報公開徹底が第一歩
「パイオニアはいつも批判されるものです」
高層マンションに囲まれた福岡市郊外の病院。院長の永末直文さん(64)は、十八年前の自らの記憶と、宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)の万波誠医師(66)らによる病気腎移植とを重ね合わせる。
島根医科大第二外科助教授だった一九八九年十一月、国内で初めて生体肝移植を手掛けた。患者は先天性胆道閉鎖症の一歳男児。父親の肝臓の一部を移植した。
迷いはあった。背中を押したのは「先生にやってほしい。ベストを尽くすなら結果は問わない」という家族の決心だ。
「結果次第で殺人罪になるとまで考えた。断崖絶壁。でも、そこに立たないと救えなかった」。病院長の許可は得たが、当時の倫理委員会には申請していない。何より患者との信頼関係がすべて、との信念があった。
「目の前の患者を救いたい」と、国内では例のない病気腎移植を行い、批判を浴びる医師の気持ちは分かるという。
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臓器売買事件に端を発した病気腎移植問題は、臓器移植法施行(一九九七年)から十年がたっても、献腎移植の機会が極めて少ないわが国の現実を浮き彫りにした。
生体移植で命を救われた患者から、万波医師らに感謝の声が相次ぐのは当然ともいえる。
地域の中でひたすら患者に接する医師の姿は、テレビドラマに登場する離島の医師のように、多くの共感も呼んだ。
日本移植学会の元理事長、太田和夫・東京女子医大名誉教授も「患者の切実な思いを世間に訴えられた意義はあった」と話す。
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透析中の岡山県内の女性は、取材班への手紙の中でこう訴えている。
≪病気腎(移植)で、たとえ数年でも自由な時間が持てるのなら、欲しい、というのは透析患者の心の中の思いです≫
医療が、患者のためにあるのは当然のことだ。一方で、移植医療は患者と医師のほかにドナー(臓器提供者)という第三者の存在があって成り立つ「社会的な医療」であるという事実は重い。
岡山大大学院の吉谷啓次助教授(哲学・生命倫理学)は、末期がんの緩和治療や安楽死・尊厳死を「救済型治療」と呼ぶ。「根治型治療」が望めない患者のクオリティー・オブ・ライフ(QOL=生命・生活の質)を重視した「治療」だ。その是非や方法は国や共同体―つまり社会のコンセンサスによって決まる。
病気腎移植が、仮に「根治」ではない「救済」の治療として行われるとしても、医師の“独走”は許されず、やはり社会的な議論と合意が必要だと吉谷助教授は考える。
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病気腎移植が起こした波紋は、移植医療が抱えるさまざまな問題をあらためて投げかけた。
国内初の心臓移植(六八年)以来の医療不信はぬぐいきれたのか。新たに登場する医療が社会とどう向き合うのか。学会の役割、医師の裁量権はどうあるべきか。そして、病気腎移植の是非や範囲をどう考えるか。
浮かび上がったキーワードの一つは、徹底した情報公開だろう。永末さんは当時、医師団の間でも割れていた意見を隠さずに公表した。その結果が、以後四千例に近い生体肝移植への道を切り開くことになる。
「将来、病気腎移植がスタンダードな医療になる可能性はある」と永末さんは言う。「第三者を交えて意見を言い合い、世の中にさらしていく。問題があったなら素直に認める。そういう形でしか、リスクを伴う医療はスタートしない」
病気腎移植が、どういう道をたどるのか。検証は始まったばかりだ。 (臓器移植取材班) |