| 第1部 病気腎の波紋 10 臓器売買 「起こるべくして…」
「死にたくない。孫も小さい。何とかドナー(臓器提供者)を探してくれと頼んだ」
松山地裁宇和島支部。二〇〇六年十二月五日、白髪交じりの車いすの男性被告(59)は、弁護人の問いかけに当時の思いを明かした。
宇和島徳洲会病院を舞台にした臓器売買事件の初公判。男性は腎不全を患い、血の塊のような尿が出た。立って歩くこともできなくなった。移植(〇五年九月)の約三カ月前に入院した。
息子にはドナーになることを断られた。内縁関係にある女性被告(60)にすがり、知人の腎臓を移植した。見返りは乗用車と現金三十万円。義理の妹と偽った。
主治医の万波誠医師(66)からは「移植しなければ、あと二、三カ月の命」と告げられていた。
法廷で、女性被告もこう心境を述べた。
「あせっていた。この人を何とか助けたいと。昼も夜も、ドナーを探した」
□ ■
三週間後の判決は、それぞれ懲役一年、執行猶予三年。裁判官は事件の背景にも言及し「死体からの臓器提供が著しく不足し、多数の待機患者が存在する中で、起こるべくして起きた事態」と指摘した。
臓器移植法施行(一九九七年)以降、脳死移植はわずか五十一件と伸び悩んでいる。“生体移植頼み”の状態が続き、〇五年の腎移植のうち約八割(八百三十四件)を生体間が占める。
「生体移植での金銭のやりとりが、感謝の謝礼か、法で禁止された臓器売買かは紙一重だ」。岡山大大学院の粟屋剛教授(56)=生命倫理学=は話す。
臓器移植はドナーの自主的な「無償の善意」で成り立つが、臓器を提供した肉親に遺産を多く分け与えたり、現金や物を渡すことは社会通念上、ありうる。そのあたりの線引きが難しいという。
■ □
国内の深刻な臓器不足を反映し、海外で移植する日本人も後を絶たない。
厚生労働省研究班の調査では、二〇〇六年春までに、少なくとも約二百人の日本人が中国やフィリピン、米国などで腎移植を受けた。
しかし、中国では死刑囚の臓器が使われたり、アジアの一部で臓器売買の闇ブローカーが横行するなど、倫理的な問題も多い。
「日本で取り締まっても、海外で移植を受ける道がある。米国では『臓器提供すれば、医療費を安くする』などの説明も行われている。すでに臓器に金銭的価値が生まれている現状では売買は防ぎきれない」と粟屋教授はみる。
□ ■
臓器売買が明らかになった後、万波医師は「(移植患者らに)結果的にだまされた」と話した。保険証だけで確認し、「義妹」との虚偽申告を信じたという。
事件では、生体移植をめぐる手続きの不備も浮き彫りになった。
日本移植学会の倫理指針には、ドナーの本人確認などの手続きは定められておらず、学会は急きょ、顔写真付きの身分証明書での本人確認などを指針に追加した。
日本移植学会理事の清水信義・岡山大副学長(66)がいう。
「移植医療は他人の臓器をやりとりする特殊なもの。それだけに、広く一般的に行われるようになった生体腎移植も(脳死移植と同様に)厳格な手続きを踏むべきだ。真の患者との信頼関係もそこから生まれる」 |