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| 生体腎移植を執刀する万波誠医師(中央)。病気腎問題の後も、移植を求めて訪れる患者が後を絶たない=2006年12月、宇和島徳洲会病院 |
第1部 病気腎の波紋 1 延長線 困っとる患者のために
ぱっくりと開いた患者の右下腹部。万波誠医師(66)が、灰褐色の腎臓を慎重に植え込んでいく。
「大きな腎臓じゃなあ。最高じゃ」
二〇〇六年十二月二十日。四国南西部、人口九万人の小都市にある宇和島徳洲会病院(愛媛県宇和島市)。手術室にはクリスマスソングのBGMが流れていた。
針を一気に引っ掛け、縫合糸を引っ張る。血管を吻合(ふんごう)する手の動きは速い。これまでに手掛けた腎移植は八百例を超えた。地方の医師としては群を抜く実績だ。
鉗子(かんし)を外すと血流が再開した。心電図のモニターがピクッ、ピクッと動く腎臓の動脈のリズムを刻む。移植腎はみるみる鮮やかなピンクに変わっていく。
「膨れてきたな」
促すように左手の指で腎臓をさする。尿管からポタポタと透明な尿がこぼれ始めた。
「出たんか」。傍らから弟の廉介医師(61)がのぞきこむ。
「問題ねえ(ない)」
患者は糖尿病が元で人工透析を続ける北海道釧路市の男性(69)。息子(46)がドナー(臓器提供者)になった。手術は三時間足らずで終わった。
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「困っとる患者のために、医療をやっとったわけでしょう。何一つ文句も出なんだし。普通の移植医療の延長線上と思うとったわけですから」
早口の岡山弁。病院一階の泌尿器科診察室で万波医師が話す。
昨年十月、自らが執刀した患者をめぐる臓器売買事件が発覚。翌月には、病気腎移植が表面化した。問題は岡山、広島、香川にも飛び火し、万波医師を中心にした「瀬戸内グループ」の医師たちが手掛けていた病気腎移植は計四十二件(判明分)に上ることが分かった。
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予想せぬ事態に、移植医たちは批判や疑問の声を上げた。
「万波医師のやり方には問題が多すぎる」。日本移植学会の大島伸一副理事長はきっぱり言う。
わが国初の心臓移植、いわゆる「和田移植」(一九六八年)以降、日本の移植医療は停滞した。脳死をめぐる論議の末、厳格な「透明性」「公平性」を確保することで、移植医療はようやく動き出したからだ。
学会に属さず、グループの間で病気腎をやりとりする。そんな地方医師の“独走”に対して、同学会は厚生労働省などと連携しての実態解明や、倫理指針見直しの作業を進めている。
しかし、ここにきて風は微妙に変わりつつある。患者による「支援する会」が次々に立ち上がった。医学界内部からも容認の声が聞こえる。国内の人工透析患者は約二十六万人。移植の恩恵にあずかれない圧倒的多数の患者の存在が、その背後にある。
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素足にサンダル履き。肌着の上に直接白衣を着て、ポケットに手を突っ込んで院内を歩く。偉ぶらず飾らない。休日や夜も病棟を回る。
万波医師は問題が表面化した秋以降も、週一回のペースで移植を続けてきた。患者は北海道から九州まで全国から集まってくる。高齢などを理由に地元では移植を断られた人が門をたたく。そんな患者に、万波医師はこう声を掛ける。
「遠くから来てくれてありがとう。僕でよかったらやりましょう」
◇
移植医療が揺れている。九七年の臓器移植法施行から今年で十年。病気腎移植が突きつけた問題の背景と波紋を追う。
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